先日の孫崎チャンネルの記事で、「いま語らねばならない戦前史の真相」のあとがきが掲載されていた。同書は、孫崎享・鈴木邦男両氏の対談本で、あとがきは鈴木さんが書いた。

書かれている内容はほぼ全て共感できるものだった。孫崎さんも鈴木さんも今は重要な決定権を握っている人ではないが、言論空間ではいくらか発言権を持っていて、こういう人たちがいてくれることを有り難いと思う。

破滅に向かって進んでいく戦前の歴史の中でも、合理的な考えを持って戦っていた人がいた、ということを再発見する過程が、この本だと思うのだが、将来になって現在を振り返る時には、孫崎さんや鈴木さんも、日本の良心の一部となっているのではないかと思う。

鈴木さんは右翼と自称していて、実際に理論的にも実践的にも右翼的な活動をしてきたのだろうと思うけど、話を聞いていると、最初から自由主義者だったという印象がある。強さという価値を大事に思うところは右翼的なのだが、集団で集まって他を威圧するのはあまり格好のいいものではなく、一人になっても戦えるのが本当の強さだという感覚がある。

自分の信念に従って、他の人と一致しなくても、自分の考えを主張する態度は、個人主義的で、自由主義的である。そして自由にものを考えていると、独自のポジションに立つに至り、リベラル派の孫崎さんと一緒に本を作ったりもするわけだ。

あとがきの最後のほうで書かれている、攘夷運動は、外国の侵略を思いとどまらせる役割を果たしたという新解釈については、最初、さらっと読んでしまっていたけど、それって右翼だってことだから、右翼運動も全くの徒労ではなく、役に立っていたということになる。

鈴木さんは自分がしてきた活動に対して控えめな評価をしているので、同じカテゴリーの人たちが歴史的意義を認められたことを喜んだのではないだろうか。

攘夷運動がなかったら、侵略されていたというのは、僕にとっても驚きの新解釈である。

ポルトガル人が鉄砲を持ってやってきた時、豊臣秀吉がキリスト教の布教を禁じた時、徳川家康が長崎の出島の通商を除いて外国人を排除した時、なぜ侵略戦争が起きなかったのかも、そういえば謎である。武力で負けてなかったからなのだろうか。