【はじめに】
児童虐待について読むのが辛い方は、この記事はおすすめしません。
7月に報道された3歳女児の放置・餓死事件については、すでにふれました。
最近、娘が赤ちゃんだった頃の記事をよく書いていた私にとっても、あまりにも衝撃的な事件でした。
この事件を聞いて、2010年に大阪市で発生した「2児放置死事件」を思い出したこともふれました。
絶えることのない児童虐待死事件を、自分の中に刻み込む意味も込めて、大阪の事件の後で読んだルポルタージュ「ルポ虐待」(杉山春 著)を、もう一度読み返しています。
「鬼畜」と非難される母親の生育歴には、やはり同じようにネグレクトされていた背景があったのです。
また父親はどうだったのか、社会はどうだったのか。
大阪の事件では、夜中に子どもたちが泣き叫ぶ声が毎日のように近隣に把握されていて、児童相談所も動いていました。
それでも見過ごされてしまったのでした。
7月に起きた東京の事件についても、母親の生育歴に同様のネグレクト体験があったことが、その後の報道からわかってきています。
親が悪いことはもちろんその通りです。
ただ親を責めるだけでは子どもたちは救えないということに、児童虐待の根深さがあるのです。
社会福祉に携わる者として、自分の無力さを感じています。
そしてもうひとつ。
大阪の事件を題材に制作された映画
「子宮に沈める」
を昨夜観ました。
ついに。
映画館で観る機会を探していたのですが、なかなかチャンスがなかったため、今回ついにDVDを買ってしまいました。
ネットで予告編を観るだけでも気持ちが押しつぶされそうになりました。
買ってまで観るかどうか、正直言って迷いました。
ネットで購入のボタンを押す瞬間、指が震えました。
実際観た方たちの評価やコメントを読むと、「この母親への非難」の声が多いのは想定していましたが、「この映像は二度と観たくない」という声も多数あがっていたのに驚きました。
ショックなのです。
実はネタばれしない程度に述べますと、この映画はあくまで「大阪の事件をもとに作られた作品」ということであって、事実関係や事件の背景、結末などが微妙に事実とは変えられていました。
それでも、ネグレクトされ軟禁されていた子どもたちの目線で起きていた暮らしの悲惨さについては、十分に再現されていると思います。
だから観ていて本当に辛くなりました。
多くの方たちに知って欲しいと思う反面、皆さんがご覧になること、あまりお勧めできません。
子ども好きの私にとっても本当に精神的に辛くなるのですが、あえてこの夏、児童虐待について改めて学んでみたいと思っています。
夏休みに入り、公園で楽しそうに遊んでいる子どもたち。
炎天下に高校野球に打ち込んでいる子どもたち。
ファミレスでハンバーグを頬張る子どもたち。
そして、わが娘と。
一方、自分の親を最後まで信じて待ちながら、放置死させられた子どもたちと。
いったい何が違ったのか、
あるいは違わないのか。
問い続けなければならないと思うのです。