母子像を訪ねて_米軍機墜落事故を思う | 舌がんと向き合う日々

舌がんと向き合う日々

2016年4月に舌がんに気づき、6月に手術をしましたが11月に早くも再発。
放射線治療と抗がん剤で一時落ち着きましたが、2019年2月再々発。
そんな舌がんと向き合う日々の記録です。
✳私の発病経過は2016年11/8に、ブログ総集編を2023年9/29に、年表は2022年11/5に掲載中。

9月27日以来、二度にわたって記してきた「米軍機墜落事故」40周年のこと。

 

3連休を使って、故土志田勇(どしだいさむ)さんの著書「米軍ジェット機事故で失った娘と孫よ」を読み終えました。

 

勇さんは、事故で亡くなった土志田和枝さんのお父さんです。

 

私にとって忘れられない事故であり、勇さんと接点があったにも関わらず、本を読むまで知らなかったことが多々ありました。

 

私の知っている勇さんは、朴訥な感じの優しい方でしたが、本の中には勇さんの激しい怒りと悲しみがあふれていました。

 

 

勇さんが怒りと祈りを込めて完成させた「愛の母子像」に、久しぶりに会いに行きました。

 

場所は「港の見える丘公園」。

 

 

カップルの似合う場所。

 

向こうには、横浜ベイブリッジ。

そして鶴見つばさ橋。

 

本当に久しぶりに来ました。

 

 

 

フランス領事館跡のフランス山に入るとすぐ、プラタナスの木漏れ日の中にその像はあります。

 

3歳と1歳の幼い二人の息子さんが亡くなったことを聞かされた和枝さんは、

 

「もう一度子どもたちをこの胸に抱きしめてやりたかった」

 

と涙されたといいます。

 

また生前、

 

「もう一度海を見てみたい」

 

ともおっしゃっていたそうです。

 

 

 

今年ちょうど40周年だったこともあるのでしょうか。

新聞記事と花が供えられていました。

 

 

 

都市公園法という法律による制約がいろいろあり、

 

「あふれる愛をこの子らに」

 

と刻まれるはずだった台座の文字は、

 

「あふれる愛を子らに」

 

に変えられたり、

 

下の碑文も当初は設置が許されなかったそうです。

 

これがないと、何の像だかわからないのですよ。

 

 

 

勇さんのことを思い出しながらしばらくたたずんでいたのですが、確かに、通る人通る人、「この像は何?」という感じでこの碑文を読んで行かれます。

 

いわれを知って、拝んでいく方もいました。

 

 

 

この像の後ろに回ると、親子の視線の先には、

 

 

 

海が見えます。

 

 

 

この像の作者は、近くの山下公園にある「赤い靴はいてた女の子」の像の作者、

 

山本正道さんです。

 

 

 

同じように、海を見ています。