ハマの番長_三浦大輔さんの横浜愛 | 舌がんと向き合う日々

舌がんと向き合う日々

2016年4月に舌がんに気づき、6月に手術をしましたが11月に早くも再発。
放射線治療と抗がん剤で一時落ち着きましたが、2019年2月再々発。
そんな舌がんと向き合う日々の記録です。
✳私の発病経過は2016年11/8に、ブログ総集編を2023年9/29に、年表は2022年11/5に掲載中。

ハマの番長、三浦大輔選手の引退は、ベイスターズファン以外の人々にも語られた、今年の一大ニュースだったと思います。

2008年にFA宣言し、阪神から熱烈な移籍の要請を受けつつもそれを拒み、横浜に残ってくれたことで、三浦大輔はベイスターズのレジェンドとなりました。

それにしても三浦大輔の存在の別格ぶりは、本当に伝説的でした。

先発投手「三浦」と発表された日に、スタジアムに行くため応援ユニフォームを着て自宅のそばを歩いていると、走り去るゴミ収集車のおじさんが、車の中から声を張り上げ、私に向かって、
「今日、先発三浦だろう!がんばってー!」
と言われたことがあります。
私ががんばるわけではないのですが、なんとなくうれしくて、手を振って応えてしまいました。

また三浦が勝ち投手になったゲームを終えて、そのまま自宅付近のスーパーで買い物をしてたら、レジの人に、
「今日勝ちましたね!」
と声をかけられ、スーパーを出たところで見知らぬおじいちゃんに、
「今日三浦はどうでしたか・・・そう、勝ちましたか」
と尋ねられたり。

番長が現役の間にもう一度日本一になる。それがベイスターズファンの夢であり、番長の夢だったのです。

だから番長が引退した日は、横浜中が泣いたのです。

横浜を愛した番長は、本当に横浜に愛されていました。