こどものころ褒められてうれしかった思い出は?

う~ん。特にない。褒められた記憶があんまりない。栗山監督が大谷さんのことを褒めないという話とは次元が違うが、どうやら褒めることが親は苦手だったのか記憶にない。褒めることで、限界、到達点になってしまうから・・・そこまで考えての事ではないとは思うが笑

 

学校で先生に褒められるのはリスクがあるように思える。小生。目立たぬ人生を望んでいるので、なるべくそういった目立つ事案は避けたいところ。小学生なんてのは最たるもので、事象にもよるだろうが、先生に褒められるということは、先生におべっかを使っているみたいな見られ方をしかねない。学校生活でうまくやるコツは平均だと、そのころは思っていたので、そつなくこなすぐらいがちょうどよい。

 

ということは親は外して考えると、たぶん褒められた人生ではなかったということであって、褒められなかったのではないということに気づく。そりゃあ、褒められるようなことをしてなければ、褒められる経験なんてのは記憶にないわけだと納得。

 

いかん。

 

それでよいのか?実際に、褒められると、慣れていなくてなんて返していいのかわからなくなる。謙遜しているように装うのが良いのか、素直にありがとうございますというのが良いのか。わからない・・・社会不適合者だな苦笑

 

性善説ではないが、みんなよい子である。というのが持論。知らなかったりすることで、よからぬ方向へと進んでしまった人はいるにせよ。それはどこかで、知っていればそんなことにはならなかった事や、知識があれば、相談できる相手がいれば、回避できたかもしれない。そう考えると「罪を憎んで人を憎まず」とはよくできた言葉だ。

 

たぶんだけど、生まれながらにして悪い子はいない。生まれたときはみんないい子だ。イエモンの曲にもあるけどね。

 

そうか、褒められたことは、生まれた時は褒められたのかな?ああ、母親は褒められただろうけど、小生ではないことは確かであるって話。

 

 

▼本日限定!ブログスタンプ

あなたもスタンプをGETしよう