青空と夕空、どちらに惹かれる?
どちらかというと、青空?春の心地よい風の青空も天井が低い冬の青空もすがすがしくさせてくれるから。
どうも、皆様いかがおすごしでしょうか。一昨日からの台風は日本全土を巻き込んだものになりましたが、皆さん大丈夫でしょうか。被災された方々にはお見舞い申し上げます。
空の日って、まさに本日はまだ台風のしっぽがかかっている地域もある中でのネタです。青空は、すがすがしい気持ちにさせるのもありますが、暑いというイメージも最近はありますね。打って変わって、夕日は物悲しさというか、哀愁みたいなものがあって、よく俳句などで読まれているようにそれだけで情緒がうまれ表現の一つの言語となっている気がします。
青空も、夕日もシチュエーションによるところもあって、それは思い出の背景となって記憶に残っていることでしょう。小学生の時の夏休みの宿題での絵日記は、大抵背景が青で入道雲らしきものが描かれているイメージないですか?
海行った日には、青い海、白波、黄土色の砂浜と青い空と白い雲。ほぼ青(笑)
絵日記でいうと、夕日ってあんまり描かれていない気がするのは、小生の幼少の感性が乏しかったのか?それともあんまりイメージになかったのか。今となっては記憶にはございませんが、夜に花火をしたときには背景が黒になるし、単色が多いですね。
そういう意味では、マジックアワーなんていう表現もありますが、夕方の時間帯の色彩は表現が難しかったのかもしれないし、日が沈むのは帰る合図とばかりに家路につくイメージしかないのかもしれませんね。
しかしながら、あの絵日記の宿題は小生にとっては苦行のようなものでした。日々のことをつらねるのは良いのですが、絵が・・・。苦手で、縮尺に難儀しました。絵のうまい友人に言わせると「見たまんま描けばいいんだよ」と簡単に言うのですが、こちとら見たまんまに書けないから難儀するわけです。これは考察ですが、3次元のものを2次元でとらえる能力が欠けていたのかもしれません。
大人になると苦手なものが平気になる説?事?ってあるじゃないですか。それで、絵を描くことを趣味にでもと、すごい数の色鉛筆が入ったセットを購入し画用紙に向かってみた・・・。結局思い通りの絵は描けなかった。うまい人はどうなんだと思ったら見えているものの奥から順番に描いていたのです。なるほどとは思いましたが、小生にはまねはできずに断念しました。
写真やビデオでもそうですが、自分の見ているカットがそのままが画角になることがないので、両の手でL字を作り、目の前で長方形作るみたいなことをするのは、自分の視界を狭めて画角に収まりを見ているのです。最近はデジタルなので、撮っても消せばいいので見なくなりましたし、専用のスコープみたいなものが本当はあって、それをのぞき込むということをしていました。
写真や動画はカメラの力を借りて、表現することができるので、想像はできてもそれを頭の中から画用紙に転写できない小生にとっては便利な道具となりましたが、単色になればなるほど見たまんまの色を出すのは難しくなるのですが、そこは絵の方がファジーに表現できるので、そこがうらやましいと思っていました。
しかしながら昨今は、デジタル技術も進んで、より見ている景色と同じに近づいたし、なんなら撮影後に修正もできる。便利な世の中だし、お手軽に趣味できるようになった。
とはいえ、やはりそこはデジタルなので、やっぱり加工された感じは否めないし、もっと言えば別にそこは求めていない。美しい映画を見ることは、別に色彩が豊かである必要はないので、そこは絵画に任せよう。先日、亡くなったゴダールの作品は、幼少に見た時は、そんなに良いというか面白いとは感じずに、結局はヨーロッパ映画は退屈というレッテルを張ってしまった。しかし、年を追ってから見ると、技術もさることながら、カットが絵画のようにきれいであるかのように見えて感銘を受けた記憶がある。モノクロなのに、小生の目にはちゃんと色彩が見て取れるようだった。エンドロールではたと「これってモノクロだったんだ」と気付いてびっくりした。モノクロの作品では、何本かそういう作品があって「勝手にしあがれ」はその一本である。
映画の中での空は、時間経過の表現として使われることが多いが、ストーリーとあいまって、青空も夕日も見え方が違って見えるのは不思議だ。そういうことから考えると青空も、夕日も自身の心情によって見え方が変わるのではないかって事です。
皆さんはどんな気持ちで空を見ていますか?って話。
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