追い払いたいものある?

「もち、コロナ」というのは誰もが思うことですよね。

コロナ禍で、いろいろな制限の中で皆さん工夫して過ごされていると思いますが、どんな風に過ごされていますか?

行動制限と、感染予防の観点で、節分も様相が変わっているのではないでしょうか?

豆まきなんてのは最たるもので、マスクをつけた鬼がソーシャルディスタンスを保ちながら、遠投よろしく豆を投げる姿が目に浮かびます。

太巻きの文化は、10年前にはなかったのですが、恵方をむいて願い事を心で念じながら、一本食べるというもの。まさしく黙食ですから、影響は少ないと思われます。

 

とはいえ、この2年間の巷の認識は変わったのですが、思えば衛生管理っていう部分では、いままでの手洗いうがいなんてのは、面倒で飛ばしていたのだなと気づかされる。

 

国際的にも文化の違いみたいなものが見えて勉強になりました。日本人はシャイと言われいるようですが、今回はそのシャイなゆえんであるスキンシップが功を奏しているような気がします。

 

親愛の印にハグどころか、握手などをするというのは、あんまりなかった。というか、幼少のころ考えても、握手を含めてのスキンシップが少なかった気がします。せいぜい、ハイタッチとか円陣で肩を組むとか、親愛というよりは仲間意識とかチームシップ的なものであった気がしますので、個人対個人というとなかなかねえ。

 

なので、社会人になって、上司から「がんばれよ」的に肩に手を乗せられたときには、思わず払ってしまいそうだった苦笑

 

それ以上に、協働している会社の人から「よくやってくれたね」的に、握手を求められたときに少々戸惑った記憶があります。

 

逆に、幼馴染と握手とか触れ合うことはあんまりなかった気がするし、なんなら家族で考えると両親と手をつないでいたのは記憶のかなただし、兄弟の手を引いた記憶もある方はいらっしゃるとは思いますが、それ以上の年齢でそういった記憶はない。

 

それは、シャイとかそういうことではなく環境的要因での、文化というべきものだと思う。パーソナルスペースがある程度あって、ソーシャルディスタンスとは言われるけど、もともとその距離は保っていた。並ぶときとか、エスカレーターとか電車の座席とか、仕方がない場面はあったとしてだ。1Mとか2Mとか言われていますが、1Mいない近づくって相場面ないよね。大人ならなおさら。

 

小生の個人的見解ですが、武士の時代はとって取られての世界で、それは親しき中でも、明日には敵になることもあった中で、刀の届かない距離というのが、日本人のパーソナルスペースを生んでいるのではないかと思う。

茶室ってあるじゃないですか。あそこの にじりとかって、刀を差したままでは入れないとかなんとか。だから、腹を割って話すときには茶室で行われたとかないとかという話。

 

小生は、もともと衛生管理とかでないですが、冬の時期はマスクをしてました。周りからは「風邪でも引いたの?」とか言われいましたが、防寒とか、予防とかいう意味で、していただけなんです。だから、別にマスク生活は苦慮しないでやれいるのは日ごろの行いのおかげ?とか。マスク取りたいとかいう話を聞くが、今の感じは小生にとっては日常であるので、みんなしているのは、逆にありがたい話。いちいち聞かれなくて済むので。

 

というと今の状況で不都合がないかといえば、ない・・・。とはいいがたい。というのは、旅行できないということが一番でかい。早く、感染者数を見ながら行動する日々が終わってほしいところもある。大手を振って「旅行行ってきます!」といって休みを取りたいものです。

 

というところで、ソーシャルでスタンスというが、もともとソーシャルディスタンスなパーソナルスペースをもつ日本人は、かかりにくいと思うのですが、オミクロンはそうはいかないらしい。

 

いまどきはいないかもしれませんが「鬼は外~福は内~」という近所の声も「コロナは外~」と聞こえてくるようだって話。

 

 

 

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