終戦の日。
なんだか、お盆の中日てのあって、なんだか重苦しい気持ちになる。
他の国では記念日だったり、祝賀行事になっているようですが、我が日本は厳かに執り行われています。ようは敗戦国ですからねえ。それは厳かにもなりますよ。
しかし、昨今はそのところで、記念日というか、追憶の意味もあるのだろうけど、戦争映画が多くなるので、いやでも意識せざる終えない。しかし、映画は映画であって、実体験に基づいた話というのとはちょっと違う。
かくゆう、祖父母はなくなりましたが戦争体験者であって、その頃の話を聞くには聞きましたが、当たり前の話といっては何ですがあんまり話したがらないし、聞いても生活面での話であって、聞くに聞かれない雰囲気というのはありました。今思えば知らぬが仏で、聞いてしまえばよかったかなとも思うわけです。
実際は、母や父から、祖父母が動だったかという話を聞くのですが、あんまりぴんとこないのは、やはり本人の口から聞いた訳じゃないからなのかな。
やっぱり本人たちから聞くことによって、自分がこの時代に生まれたことへの感謝ではないけど、何か平和に関することをもっと感じれられていたのではと思うわけです。
靖国参拝の話が持ち上がっているようですが、まあ、個人的にはいろいろと思うわけで、実際に祖父母が戦争でなくなっていたならば、また考え方も変わっていたのかもしれない。けど、結局は戦争を知らない子供たちの子供ですから、想像の域を出ないのは悲しいところ。平和がいいとは思いつつも、戦争はいけないことなんだという認識もありつつも、平和しか知らない人間は、戦争の悲劇というのは理解できても感じることができないという現実。それこそ、海の向こう側の人たちは、この日を祝うだろうけど、それと同時に反日感情を高ぶらせる。その行動や報道に対して、怒りすら覚えるけど「この人たちは、こうやって戦争でもしたいのか?」とか思ってしまう。けんかをしたいようにしか思えない行動だからだ。それとも、日本がなんにもできないと高をくくっての行動なのか本当にわからない。むかついたから、旗を燃やす。物を壊す。領土を無視するなどなど、本当に挑発行為である。だけど、戦争をしらない僕らにしてみれば、この後どうなっていくのか不安になる。乗っ取られるんじゃないかとかね。
結局は体験をしていないし、話も聞けなかったことによって、戦争を知らない子供になっちまったわけで、これは歴史認識不足を海外から批判されても仕方ない気はする。だって、知っているのは作られた歴史の教科書や、かっこよく作られている映画での話であって、実体験や肌で感じれるわけではない。
生まれてからずっと平和だったわけではない。それこそ、人類が人類である限り争いのないことなんてないのかもしれない。小さい頃からみる戦争はメディア、つまりはブラウン管の向こう側の話であり、リアルではない世界。本当に情けないが、対岸火事でしかないのかもしれない。
しかし、大人になり、広島にも行った、靖国もいったけど、認識はできてもやはり腑には落ちない。確かに、戦争はだめなこと。NO戦争なわけですが、広島や靖国にはやられた記録しかなく、それは別に反米感情を揺するものではなく、ただ、戦争があるとこういうことになるという記録でしかなく、なんというか。う~ん。やはり、腑に落ちない。
体験できないから知らないというのはオーバーかもしれないが、この日までに、日本人が何人なくなったのかって話もそうだが、海外でも多くの命が失われており、勝ち負けの前に、むしろみんな負けであるということなんじゃないかなと思うわけですよ。でも、これって平和ぼけの象徴みたいな発言な訳で、本当のところの戦争の恐怖という物を知らない。
なんにせよ、今日この日を迎えるに当たり、今一度考える機会として、勉強の必要性を思う。今日この頃でありますって話。