なんとなくな日々を送る毎日。情報過多といわれるけど、なんか日々の流れが速すぎて、それだけで疲れてしまっているような気がします。今日は天気がいいので、出かけようかと思っていると、もうお昼だ。時計を見て、なえてしまう。やばい一日の半分をなんとなく過ごしてしまった。


 ともあれ、一月中に何ができたというわけではないのが痛い。もう二月も半分くらいである。どうしたもんだか。何かやっていると一日が過ぎるのは当然早い。何もしていなくても、一日の過ぎるのは早い。とめるわけにはいかないし、止めるすべすらも持たないので仕方がない。仕方がないにしろ、何か充足感が持てる一日を過ごしたいものだと、ぼんやり考える。いかん!また、ぼんやりしている。ぼんやりしているまに時間をむさぼり食ってしまっている。


 そんな時には決まって、高校生の頃によんだ、筒井康隆さんの「急流」を思い出す。時間流れを早く感じた主人公が、それが勘違いではなく、世界の時間が、それこそ流れる河のように急流になっていくと言う話。通常の1時間が、2時間分を食っている。その1時間が4時間に、と時間が短くなっていく中でも、サラリーマンの主人公は普通であろうとしている。仕事をして、奥さんと会話しと。でも時間は流れていく。と言うストーリー。


 ここで思うのが主人公は世の中が混乱していても、主人公が自分の生活を変えないところである。どんなに時間が流れていっても自分がぶれないということ。さも、時間が関係ないがごとく生活を変えない。友人と飲みにいったりしながら会社の愚痴をいったりしながらも、時間が早いなあとかいいつつも、変えないどころか、会社の出勤日が変わろうとも、それに順応しているようだった。順応しつつも、自分のスタイルは変えない。それがいいか悪いかは分からないが、今自分の状況を考えるに、時間のながれに流されて毎日を過ごしている。そこに戸惑いとかも感じつつもどうしてよいか分からず、分からないままにしておき、ただ凡庸に毎日を過ごすことしかできないでいる。むしろ、あらがうのではなく、順応していかなくてはならないのですかねと思った。時間と言う概念は、人それぞれでありがならも、公平にあるものです。その時間をどうすごすのかが、その人となりに影響すると思いますので、この時間一日24時間を大切に使いたいものだ。


 さてはて、あと12時間をどう過ごそうか、とりあえずお昼を食べようか、考えるのに30分、作るのに30分、食べるのに30分、食後ゆっくりするのに1時間・・・うわ~もう3時になってしまう。なんて考えているうちに時間は消えてしまう。


 とりあえず、考えることを辞めないで、考えていこうかと思うのです。まずは、お昼のことを考えようかと思うって話。