ブログネタ:大好きなことをやめるのと大嫌いなことを始めるの、どっちが辛い?
参加中私は大嫌いなことを始める 派!
たぶん、年のせいだろうか、それとも今の状況のせいだろうか、分からないけど、チャレンジ精神的なものが失いつつある。
経験とは、良いことばかりじゃなくて、嫌なこともあったりする。その記憶が先行してしまい、どうも新しいことへの一歩が踏み出せない自分がいる。
というのも、理由としてはどうやら脳の仕組みであるらしいことが分かった。まあ、ひとつの見解としてね。脳は常に刺激を求めているらしい。刺激は喜びとか楽しいと言うのには鈍感で、同じことでは同じような感情が起きにくいらしい。そうなんです。楽しいと思っていたことが、あれ?こなんだっけと思うほどにつまらなく感じるのはそのせいらしい。それに比べて、いやだった記憶。つまり、苦い記憶は刺激が強いらしくて、それについては耐性ができにくく、刺激をいくらでも生むことができるらしいので、いやな記憶はなかなか取り除くことが難しく、それに引っ張られることにより、脳には刺激になるらしい。
がしかし、刺激はそういった負の記憶を求めるばかりなので、どうしても負の考え方。つまりはネガティブ思考を生むという話。なんだか、納得してしまう。いままではまっていたもので、自分のストレスを解消しようとしても、なかなか楽しむことができない。むしろ苦痛にすら感じる。ようは面倒なのだ。その面倒を先に考えるがゆえに、新しいことを始められないことになってしまう。いかんなあ。
いかんなあとおもいつつも、体が心を映し鏡として、体調に異変を起こす。体がだるいなど、怠け病かと思うくらいに体が動かない。まったく持って不便な体だ。とは思いつつ、ある意味都合よくできている体だな戸も思う。
話を戻すと、今まではむしろ嫌いなことを率先してやることにより、自分の新しい一面を見出すことできた。自分でも驚く発見があったりした・・・という良い面を見出せない。茨の道を進む。人の嫌がることを率先してやる。そうすることで、自分にとっても他人にとっても良い道が開けると、自分では思っていたが、気持ちとがついてこない。というより、弱気の虫がどうも治まらない。最近は顕著である。外に出るだけで具合が悪くなる。気持ち悪い。人に酔うみたいな現象が起こる。頭では分かっていても、どうも体がついてこない。このままじゃだめだと思っていてもね。
じゃあ、好きなことをやめても良いのかい?って話になると、別にそこまでこだわりがあるものがないのである。コーヒーだって、たばこだって取り上げられたりしたら、どうなるのか。大して気にしないと思う。ああ、何てことだって思う。なんだか、この世に未練がないようだ。好きなものがないってのも考えものだ。むしろ「これだけはゆずれない!」ってのも持っている必要があると思う。それは家族であったり、趣味だったりするのかもしれない。お金だってそうだと思う。そうなんだよね。物とかに対する執着心がまるでない。困ったものだ。
というのも、考え方のひとつなんだ。大祖母からの話を幼少に思う。「お金と物は貸したら帰ってこない。あげたと思うくらいがちょうどいい。帰って来たら感謝しなさい」という話。その影響がないわけじゃないとおもう。だから物に対する執着心がないというのとイコールにするのは大祖母に対して言い訳がましくなるが、本当は「そのぐらいの心持で、人に感謝しなさい」ということなんだろうと思うが、それを履き違えているのは分かるが、どうも修正がきかなくなっている。どうした自分!と声をかけたくなる。
それに付け加えて「形あるものはいつか壊れる」と言う言葉とであったのは小学生の頃。物を持つと壊れることを嘆くことになる。しかし、もともとなければ嘆くこともないという考えに落ち着いてしまった。まったくもって困った小学生だ。ならば、愛なんてものは存在しないものなんだから、これることはないってことにも受け取れるが、それもまた違う話。
ともあれば、自分自身の状況から行ってポジティブな考えは起きず、むしろ拒否反応を起こしてしまうので、嫌いなことをはじめるほうが負担であると言う話。
