アジカンの新曲が良すぎるってかやっぱファンクラブからの進化が凄くて音が、兎にかく音が哀愁がそうだ哀愁だ体臭がむわっと鼻につくくらい匂って声が、いやきっと俺はあの声が好きなんだあの声で眠れるし怒れるし泣けるんだでも笑うことはないあの哀愁が、あの体臭が、この鼻はますます役立たずになって代わりに耳がくんくん。
理奈は二十五の時に二つ年上の太一と結婚した。
それを期にそれまで勤めていた職場を辞め、学生時代に覚えたウィスキーの知識を生かして小さな輸入業社に就職した。
三十歳の時にウィスキーの輸入品に関しての管理を任されていたので、必然的に海外出張が多かった。夫も仕事で留守がちであったし、何より、大きな責任を預かる立場で仕事ができることが彼女の自尊心を満足させる職場であった。
その頃、理奈に新しい部下が配属された。原田泰人というその男はまだ二十一歳と若かった。大学三年時に卒業単位を全て取得した原田は、残り一年がもったいないからと大学を中退して入社してきたのだった。
やや赤みがかった髪は地毛で、耳下辺りまで緩いカーブを描いている。しかしスマートな体系と静謐な鋭い目が全体の印象をシャープにさせていた。
仕事の覚えも早く、基本的な人付き合いもソツ無くこなすが、原田にはひとつ、奇妙な問題があった。
彼は異性と二人きりになるのを酷く嫌がるのだ。
そのせいで、一人で取引先を回らせた時に何度かパニックを起こして大騒ぎになったことがあった。応接に来た女性社員と部屋で二人きりになり、何か話かけられたらしい。その途端に原田は叫び声を上げて部屋から飛び出して行ってしまったという。
「おかしいですよね。こうしてたくさん人がいるところなら、全然平気なんですけど」
後日二人で先方にお詫びに向かう途中、原田は言った。
「別に何か、トラウマみたいなものがあるわけじゃないんです。自分でも、なぜあんなふうになってしまうのか、分からなくて。女性が苦手なのかと言われれば、そうなのかも知れません。でも二人きりでなければ別段意識はしませんし」
「そう。でも大変じゃない、彼女とか。二人でいることも多いでしょう」
「彼女なんて。今も昔もいませんよ。思春期っていうか、そういうことを意識するようになった頃には、もうこんな感じでしたし」
「でも、もてたでしょう」
「まあ、多分、僕がまともだったらもっと楽しい学生生活だったでしょうけど」
そう言って原田は苦笑して見せた。普段知的で強い印象を与えていた目が歳相応に可愛らしく崩れるのを、理奈は見つめていた。
原田は外見はいかにも今風の若者で、その容姿は一般的男子のそれの二周り上をいくだろう。若く格好の良い男を連れて歩く自分に、理奈は気分を良くしていた。自分を信頼し、尊敬してくれているのも感じられていた。
十代、二十代と垢抜けない、世間知らずな人間であった理奈が男を知ったのは、太一が初めてだった。
『君を一生守るよ』これが太一のプロポーズの言葉だ。年上の太一にとって理奈は被保護の対象であった。それは理奈に『自分は護られる立場の人間なのだ』と思わせるには十分な言葉で、これまで理奈は自分の本質に気付かないできた。
しかし、原田が自分に向ける眼差し──自分より強い者への畏怖と憧れ──を受け、自分の内に持ち上がってくる自尊心の強さを自覚し始めていた。
それはあまりに刺激的で甘い感覚であった。何度太一に抱かれても達しなかったエクスタシーを、理奈はそこに見たのだ。
それを期にそれまで勤めていた職場を辞め、学生時代に覚えたウィスキーの知識を生かして小さな輸入業社に就職した。
三十歳の時にウィスキーの輸入品に関しての管理を任されていたので、必然的に海外出張が多かった。夫も仕事で留守がちであったし、何より、大きな責任を預かる立場で仕事ができることが彼女の自尊心を満足させる職場であった。
その頃、理奈に新しい部下が配属された。原田泰人というその男はまだ二十一歳と若かった。大学三年時に卒業単位を全て取得した原田は、残り一年がもったいないからと大学を中退して入社してきたのだった。
やや赤みがかった髪は地毛で、耳下辺りまで緩いカーブを描いている。しかしスマートな体系と静謐な鋭い目が全体の印象をシャープにさせていた。
仕事の覚えも早く、基本的な人付き合いもソツ無くこなすが、原田にはひとつ、奇妙な問題があった。
彼は異性と二人きりになるのを酷く嫌がるのだ。
そのせいで、一人で取引先を回らせた時に何度かパニックを起こして大騒ぎになったことがあった。応接に来た女性社員と部屋で二人きりになり、何か話かけられたらしい。その途端に原田は叫び声を上げて部屋から飛び出して行ってしまったという。
「おかしいですよね。こうしてたくさん人がいるところなら、全然平気なんですけど」
後日二人で先方にお詫びに向かう途中、原田は言った。
「別に何か、トラウマみたいなものがあるわけじゃないんです。自分でも、なぜあんなふうになってしまうのか、分からなくて。女性が苦手なのかと言われれば、そうなのかも知れません。でも二人きりでなければ別段意識はしませんし」
「そう。でも大変じゃない、彼女とか。二人でいることも多いでしょう」
「彼女なんて。今も昔もいませんよ。思春期っていうか、そういうことを意識するようになった頃には、もうこんな感じでしたし」
「でも、もてたでしょう」
「まあ、多分、僕がまともだったらもっと楽しい学生生活だったでしょうけど」
そう言って原田は苦笑して見せた。普段知的で強い印象を与えていた目が歳相応に可愛らしく崩れるのを、理奈は見つめていた。
原田は外見はいかにも今風の若者で、その容姿は一般的男子のそれの二周り上をいくだろう。若く格好の良い男を連れて歩く自分に、理奈は気分を良くしていた。自分を信頼し、尊敬してくれているのも感じられていた。
十代、二十代と垢抜けない、世間知らずな人間であった理奈が男を知ったのは、太一が初めてだった。
『君を一生守るよ』これが太一のプロポーズの言葉だ。年上の太一にとって理奈は被保護の対象であった。それは理奈に『自分は護られる立場の人間なのだ』と思わせるには十分な言葉で、これまで理奈は自分の本質に気付かないできた。
しかし、原田が自分に向ける眼差し──自分より強い者への畏怖と憧れ──を受け、自分の内に持ち上がってくる自尊心の強さを自覚し始めていた。
それはあまりに刺激的で甘い感覚であった。何度太一に抱かれても達しなかったエクスタシーを、理奈はそこに見たのだ。
「はい、これ」
明後日の方どころか遠い先の未来を向いて理奈が放り投げたのは、離婚届と万年筆。万年筆は四、五年前の誕生日に太一がプレゼントしたものだった。離婚届の方には、既に理奈の名前が書き込まれていた。
放り投げられたそれが木製のテーブルの上をコロコロと滑り、一メートルほど下のフローリングの床に落ちた。白い毛の長いラグにインクが染み出す。
それを眺めながら、太一は何故こんなことになってしまったのかを考えいた。
決定的な原因は、理奈の浮気であった。数年前から十程も年下の男と関係を続けていることに太一が気が付いたのは、年が明けたばかりのことであった。
ホテルマンである太一にとって、世間の休日は休日ではない。増してや年末年始は一番の書き入れ時である。仮眠室泊まりが当然となり、平年十二月後半から一月前半の間、家には何日かごとに着替えを取りに帰るだけであった。
しかし、今年は正月の五日から十日まで休みが与えられた。結婚してからも毎年休みも殆ど取らず働き続けてきたのを見かねたのか、上司の村田が気を回してくれたのだった。
「橋田、三ヶ日は過ぎちまうが、嫁さんをどっか連れて行ってやれ。新婚旅行以来そういう機会も無かったろう。きっと寂しい思いをしてるだろうよ」
言われてみればそのとおりで、そう言ってくれた村田の言葉に甘え、太一は久しぶりの正月休みを取った。
フロントに戻った太一は、さてどこに行こうかと思いを巡らせた。五日も休みが取れることなどこの先もそうそうは無いだろう。ヨーロッパ辺りは理奈も仕事で良く行っているはずだ。アメリカも同じく。北極にオーロラでも見に行くか。しかし日程的にも厳しいし、少しロマンチック過ぎる。
「……みー」
ついつい考え込んでしまった太一は、ハッと意識を戻す。仕事中だ、今は。久しぶりに理奈を喜ばせてやれると、意識せずとも気が急いているのかも知れない。
「エクスキューズミー」
応対した客はオーストラリアから旅行でやってきた夫婦だった。
太一は新婚旅行で行ったオーストラリアを思い出した。理奈いつもぼんやりとしている理奈が、あの時はやけにはしゃいでいた。日本ではなかなかみられない、地平線まで広がる大地で空を仰ぎ、何かから解放されたようにくるくると回る理奈を、太一は眺めていた。
オーストラリアにもう一度二人で行こう。きっと理奈も喜ぶはずだ。
理奈は年始は実家に顔を出す以外に特別予定は無いと言っていた。帰りがけに航空券と宿の予約を済ませてしまおう。思えば理奈にこのような趣向を凝らすのは初めてのことだった。
結果、それは理奈は勿論、思いがけず太一自身にとってもサプライズとなった。
その日、普段よりやや早く、航空券を手に家に帰った太一が見たのは、若い男と肌を合わせる理奈の姿だった。
どくどくと脈を打つ度に、白いラグが黒く染まっていく。村田の忠告は、遅すぎた。
明後日の方どころか遠い先の未来を向いて理奈が放り投げたのは、離婚届と万年筆。万年筆は四、五年前の誕生日に太一がプレゼントしたものだった。離婚届の方には、既に理奈の名前が書き込まれていた。
放り投げられたそれが木製のテーブルの上をコロコロと滑り、一メートルほど下のフローリングの床に落ちた。白い毛の長いラグにインクが染み出す。
それを眺めながら、太一は何故こんなことになってしまったのかを考えいた。
決定的な原因は、理奈の浮気であった。数年前から十程も年下の男と関係を続けていることに太一が気が付いたのは、年が明けたばかりのことであった。
ホテルマンである太一にとって、世間の休日は休日ではない。増してや年末年始は一番の書き入れ時である。仮眠室泊まりが当然となり、平年十二月後半から一月前半の間、家には何日かごとに着替えを取りに帰るだけであった。
しかし、今年は正月の五日から十日まで休みが与えられた。結婚してからも毎年休みも殆ど取らず働き続けてきたのを見かねたのか、上司の村田が気を回してくれたのだった。
「橋田、三ヶ日は過ぎちまうが、嫁さんをどっか連れて行ってやれ。新婚旅行以来そういう機会も無かったろう。きっと寂しい思いをしてるだろうよ」
言われてみればそのとおりで、そう言ってくれた村田の言葉に甘え、太一は久しぶりの正月休みを取った。
フロントに戻った太一は、さてどこに行こうかと思いを巡らせた。五日も休みが取れることなどこの先もそうそうは無いだろう。ヨーロッパ辺りは理奈も仕事で良く行っているはずだ。アメリカも同じく。北極にオーロラでも見に行くか。しかし日程的にも厳しいし、少しロマンチック過ぎる。
「……みー」
ついつい考え込んでしまった太一は、ハッと意識を戻す。仕事中だ、今は。久しぶりに理奈を喜ばせてやれると、意識せずとも気が急いているのかも知れない。
「エクスキューズミー」
応対した客はオーストラリアから旅行でやってきた夫婦だった。
太一は新婚旅行で行ったオーストラリアを思い出した。理奈いつもぼんやりとしている理奈が、あの時はやけにはしゃいでいた。日本ではなかなかみられない、地平線まで広がる大地で空を仰ぎ、何かから解放されたようにくるくると回る理奈を、太一は眺めていた。
オーストラリアにもう一度二人で行こう。きっと理奈も喜ぶはずだ。
理奈は年始は実家に顔を出す以外に特別予定は無いと言っていた。帰りがけに航空券と宿の予約を済ませてしまおう。思えば理奈にこのような趣向を凝らすのは初めてのことだった。
結果、それは理奈は勿論、思いがけず太一自身にとってもサプライズとなった。
その日、普段よりやや早く、航空券を手に家に帰った太一が見たのは、若い男と肌を合わせる理奈の姿だった。
どくどくと脈を打つ度に、白いラグが黒く染まっていく。村田の忠告は、遅すぎた。
正面から三人の人間が歩いてくる。
ひとりは男で、ひとりは女で、もうひとりはちょっと判断ががつかない。
やがてその三人とすれ違った時に、三人の声を聞き気付く。
男だと思ったひとりは女であって、女だと思ったひとりは男であって、もうひとりは人間ですらなかった。
こんなとき、僕は人知れずとても恥ずかしい気持ちになる。僕はいつも、いろいろなことを知っている、理解していると勘違いしている。それを思い知らされて、たまらない気持ちになる。
そんな日は何もかもが嫌になって、いつもはやらないことをしてみようと思うのだ。そうしてそれは大抵にして失敗に終わり、更に惨めな気持ちになる。
しかし寧ろ、思えば僕は率先して自分を惨めに辱めてやろうと思っているようでもあるし、やはり一方そんな思いなぞしたくはなく思う。つまりはよく分からない。
ほら、また分からない。
世の中には僕の分からないことが多すぎて、ほとほと参る。
自分のことすらよく分からない世界で、僕は地図もコンパスも無いまま、いやそもそも目的地も分からないままでさまよい続けている。そこは砂漠ではなく、熱帯のジャングルだ。水も食べるものも豊富にあるから、飢えて死ぬことはない。しかし出口がない。歩き続けて歩き続けて、とりあえず歩き続けていくしかない。ひとところに留まろうものなら、臭いを嗅ぎつけた獰猛な獣たちや、死角からやってくる小さな毒虫の餌食になってしまう。歩き続けていくしかない。しかし出口がない。出口がない。
ひとりは男で、ひとりは女で、もうひとりはちょっと判断ががつかない。
やがてその三人とすれ違った時に、三人の声を聞き気付く。
男だと思ったひとりは女であって、女だと思ったひとりは男であって、もうひとりは人間ですらなかった。
こんなとき、僕は人知れずとても恥ずかしい気持ちになる。僕はいつも、いろいろなことを知っている、理解していると勘違いしている。それを思い知らされて、たまらない気持ちになる。
そんな日は何もかもが嫌になって、いつもはやらないことをしてみようと思うのだ。そうしてそれは大抵にして失敗に終わり、更に惨めな気持ちになる。
しかし寧ろ、思えば僕は率先して自分を惨めに辱めてやろうと思っているようでもあるし、やはり一方そんな思いなぞしたくはなく思う。つまりはよく分からない。
ほら、また分からない。
世の中には僕の分からないことが多すぎて、ほとほと参る。
自分のことすらよく分からない世界で、僕は地図もコンパスも無いまま、いやそもそも目的地も分からないままでさまよい続けている。そこは砂漠ではなく、熱帯のジャングルだ。水も食べるものも豊富にあるから、飢えて死ぬことはない。しかし出口がない。歩き続けて歩き続けて、とりあえず歩き続けていくしかない。ひとところに留まろうものなら、臭いを嗅ぎつけた獰猛な獣たちや、死角からやってくる小さな毒虫の餌食になってしまう。歩き続けていくしかない。しかし出口がない。出口がない。
俺は何も小難しい話がしたいのでは無いのだ。この長く素晴らしく憂鬱な日々の美しさを語りたいのだ。しかし俺の日々をどうしても素晴らしく思えないのだ