可視化。
確かに目に見えるものはわかりやすい、とは思います。ただ、見えないものが可視化される場合はあくまでもシンボル、というか、形、に過ぎない様に見えるものもあります。ポーズの1つといいましょうか。

例えば、レインボーフラッグ。可視化の目的は果たせていても、センスがない、というか、圧が強すぎる、と言いますか。私には包括的な可視化には見えません。現状に対するアンチテーゼ的な可視化止まり、とでもいいましょうか。否定はしませんが、私には眩し過ぎます。

一方、ヘルプマークの様な(私からの視点ですが)
明確かつ、必要性の高い可視化の形もあると思っています。なので、ヘルプマークの普及と認知は私はレインボーフラッグよりもプライオリティが高い、と考えています。

そして、最たる可視化は、個人が発する言葉、です。ツイッター、ブログ、フェイスブック、インスタ。あらゆるSNSで、人は言葉、を発信します。その言葉からは、その人のことをよく知らなくとも、否が応でも人となり、が透けて見えます。
何に興味や関心があるか、どんな思想を持っているか、は、ある意味一目瞭然の部分がありますが、言葉のチョイスや端々に見える表現方法から見える個、こそが、私にはまさに可視化に思えます。ツイッターは、文字数が少ない分、最もわかりやすい個、の可視化に見えます。
蓑を被って石投げを楽しんでる孤独の闇が深い石焼き芋屋さんだな、とか、自分を疑うことを知らずに善意や正義を押し売りしているな、とか、一方では素敵な言葉使いや表現にはっとしたり、と感じる人となり、は、様々です。
とはいったものの、SNSで発信している人達が、発信により、自らを可視化していることにどれだけ気付いているのか?、は、疑問です。
私を含めかもしれませんが、無防備かつ、自分を可視化していることへの自覚もあまりない方の方が多いと思います。 

だからこそ、なんでもかんでも言える、としたら私は違和感を感じざるを得ません。時としては、一瞬の立ち止まりが必要だとも思うし、自分を疑う視点なしでの無自覚な発信や発言は、時として刃となり得ます。それは、だれかを批判したり、悪口を言う時だけではありません。むしろ、自分の思う正しさ、をどれだけ疑えるか、の方が大切な様に思います。善意と優しさは、私は同義ではないと思っています。正直、一方的な正義と善意の押し売り程、しんどいものはありません。相手のことを考えたり、慮る想像力の貧困さ、も同時に透けて見えます。それは、一方通行だからです。

それぞれの正しさ、の物差しはあると思いますが、その正しさが必ずしも他の誰かの正しさ、にリンクするか??、といったら私は否、だと考えています。
極論を言ってしまえば、正しい、のは時計が刻む時間位で私は充分です。(倫理や道徳は別問題です)
何故、1か0の論理や、断定や、是か非か、ばかりが横行しているんだろう??と不思議に思います。自信の裏付けがある強い方が多いのだろうな、と思うばかりですが。

そんな事を思う一方で、人は対話や交流を通じて、可視化できない自分の中の概念を言葉により可視化したり、整合をつけるヒントや、なるほど!を得ることもできる、とも思っています。
そのときに、いかに自分をどこかで疑う、というか、そういう視点を持てるか、が、相手の見解や思いを受け止められる寛容さに繋がり、生産性のある双方向のコミュニケーションが成り立つと、思っています。
否定や論破、断定、は、本当に容易いことです。そして、無防備な賛同も容易いことです。
それは、疑いの目を自分に向けないからの様に思います。
疑いの目、は、言い換えれば、違和感をいかに感じるか、にも繋がると思います。

絶対、では計れないコミュニケーションを私は大切にしていきたい、と考えています。

その様なコミュニケーションを図れる場、として、私は同志と共に、「レインボーになれなかった人のために」を立ち上げました。
第0回を11月6日に開催します。
0か1に疲れた方、自分が感じる違和感はなんなんだろう??、と思っている方、レインボーに所在を見出せない、見出せなかった方、是非ご参加をお待ちしています。詳細はこちらです。
興味を持たれた方は、
mobile.twitter.com/everyoneisally     まで、リプライやDMをいただけたら嬉しいです。


第0回、#レインボーになれなかった人のために  開催します!
日時:11月6日(月) 19時〜21時位(予定)
場所:アーク プライベートラウンジ カフェダイニング
tabelog.com/tokyo/A1303/A1…
会費はありません/出入り自由
相手を否定しない、論破しない、が唯一のルールです。