11月6日。第0回の、レインボーになれなかった人のために、は、開催に至りました。
同志と出会って、まる1ヶ月経った日がちょうど11月6日です。
時空を軽く飛び越えた邂逅の中で、フィジカルな形としての第一歩を踏み出せたことには、不思議さと必然の両方を感じ得ています。

プロジェクト?を立ち上げるにあたり、ビジョンはあるものの、拡散力もノウハウももちあわせていない私達は、なんというか必死でした。ブログもその一環です。
ただ、なんとか、声を、思いを、届けたい、遠方の方にも聞いて参加していただきたい、という気持ちから当日の模様をツイキャス配信をすることにしました。ただ、なにぶんツイキャスを使うのも初めて…。不安要素と、どこかでうまくいくはず!という自信の裏付けのない確信でのツイキャス配信となりました。

そして、始まった第0回のテーマは「違和感」。
ご参加いただいた方とも初対面、同志との出会いからもまだ1ヶ月。
ですが、飛び交う会話は時空を超えた深いものとなりました。
まわりが義とすることに違和感を感じる自分を大切にすること、それはむしろ自然なことで、自分の中の、事象への、違和感を違和感として感じることが、回り回ると自分以外のだれかとのコミュニケーションや、異、を唱えられた時の受け止め方や寛容さや想像力に繋がるんじゃないか。
その違和感を語られること、語ることをあまりよしとしない0か1か、是か非か、の風潮への違和感。あまり中庸を容認しない空気の功罪があること(特にSNSの世界では)。
そして、個人個人がマジョリティ/マイノリティを内包していることに自覚を持つことから、他の事象にその論理を当てはめて想像力を持って考えたら、包括的かつ異は、異、違和感は違和感、として受け止めることができるんじゃないか。

そんな会話の流れから、ツイキャス配信の時間へ至りました。レインボーの概念に対しての違和感や、所在なさ、セクマイのコミュニティが持つ不思議なハードル、当事者、という言葉を口にせざるを得ない違和感。秩序と混沌の共存関係がどちらか寄りになっていること。同性婚については、制度自体は素晴らしいと思う一方、婚姻制度というマジョリティに寄ることへの違和感、事実婚が言及されないことへの違和感。などなど、参加したそれぞれの感じる違和感について話をしました。
ツイキャスは、リアルタイムでコメントをいただく事ができるため、いただいたコメントからの話も膨らみました。許容範囲はどうしたら広がるか?、自分の軸ってなんだろう?、マジョリティ/マイノリティは環境によって変化すること、などコメントをいただいた方のおかげで話も膨らみました。感謝です。

そして、ツイキャスの時間制限の為、30分の配信は終わりました。初めてのことの為、しばしの放電タイムを経てアフタートークへ。

私が印象深かったのは、フィクションの世界で描かれるセクシャリティ、の受け止め方とリアルとのすり合わせにある乖離、の話でした。
例えば、世に言うBLなどを好むヘテロの人は、フィクションとしてのセクシャルマイノリティの世界を楽しむ一方で、リアルな世界でのセクシャルマイノリティへの価値観との間には乖離があるのではないか?、といったことです。
フィクションには、フィクションの世界観や美しさ、人を惹きつける力があります。
美意識みたいなものを投影するのも自由です。
しかしながら、リアルな性自認やセクシャリティの多様性に対しては、別物、もしくは、逆に見たくないもの、として認識されているのかもしれないし、落とし込み方にも差異があるのかもしれない。そんな見解も出ました。上記のパラダイムは虚構の世界と現実世界がリンクしている様で、実はリンクしていない一側面なのかもしれません。(虚構と現実の相互作用は、私は分断できないものだと個人的には思っています。)
ただ、このパラダイムは、自分の関心や興味をどの様に自分自身に投影し、解釈したり考えるか、にも繋がる興味深い会話でした。

また、カミングアウトの必要性についても話が出ました。例えば、私はヘテロです、は、カミングアウトにならないのに、いわゆるセクシャルマイノリティにはカミングアウトが課されるのか?そもそもカミングアウトをすることがポジティブの扉を開くのか?カミングアウト自体に必要性があるのか?といったことです。
性自認は、本来あくまでも流動的で、確立できるものではない、という認識は私達の会話の中では共通見解でした。外的要因や環境因子によっても変わり得るものかもしれないし、内包している性自認自体がカテゴリーにあてはまめるとしたら、時としてポジショニングも変わる。
まさに、万物の内部構造はグラデーションで、レインボーの枠では収まりきらないのがセクシャリティなのではないか、さらに言うならば、セクシャリティのみならず、考え方や自分の義や軸のようなものにも、個人の内包するものがグラデーションや流動的であること、は、言い換えることもできるよね、といった会話もありました。
ブレたり、ずれたり、変化したり。そんな流動性に自分が追いつかない時も私にはあります。
けれど、流動体だからこそ、楽しい。他者のグラデーションも許容や共感ができる。内包するブレやずれや変化は、自然現象みたいなものだと思いました。
その自然現象みたいなものに抗うことや、自分を苦しめてしまう様な答えを導き出そうとすると、違和感を超えた自分への苦しみが生まれ、それは塊となって、自分の変化やブレを認めない鎧ができてしまうのかもしれない、他者の変化やブレやずれにも気づいたり、許容できなくなる様にも思いました。鎧は信念でも軸でもなく、守ってはくれるけれど、鎧の中の姿を覆い被せてしまうものだと、私は思います。ただ、時として、鎧は有効に働くこともありますし、逃げ込む時もあっていいとも思っています。ただ、被り続けると窒息してしまうものだとも。

そんな多岐に渡る会話で、第0回の、レインボーになれなかった人のために、は、終了しました。
改めて、参加してくださった方、ツイキャスを拝聴してくださった方、コメントをくださった方、ツイッターで拡散やいいね、をしてくださった方々、そして、第0回を共に迎え、描きたい未来の一歩を踏み出せた同志に感謝しています。

これからも、私達は試行錯誤しながらも、発信や集いを続けていきます。敷居の低い集いなので、もし第0回のツイキャスを聞いたり、このブログやツイッターでの発信に対し、興味や関心、ご意見のある方にご参加いただけたら、とても嬉しく思います。
第1回、は、12月11日を予定しています。
テーマは、「ブレ」にしようかな、と思っています。

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お聴きいただき、ご意見、ご感想をいただけたら嬉しく思っています。