私と同志が立ち上げた、「レインボーになれなかった人のために」第0回のメインテーマは、違和感、です。

大きな違和感、小さな違和感。事象への違和感、自分自身への違和感。
時に、ツイッターでタイムラインを見ていると、よくも悪くも、それぞれの違和感、が溢れている、そんな印象を受けることがあります。

違和感を発信せずにいられない文化、みたいなものが140文字の世界にはある様にも思えます。
違和感を違和感と感じているのか、は、本人のみぞ知るところではありますが…。

少し前に、ウーマンラッシュアワーの村本さんが先の衆院選の投票をしなかった事が話題、というか、炎上していたのは記憶に新しいことかと思います。私が思うには、ですが、村本さんは自分の中の違和感を違和感のままにしていることを義、としない方なのだろう、と思いました。その為に自分なりのアクションや、発信を続ける姿勢そのものには、私は共感します。(投票に行くか否か、という具体的事象への賛否では計れない次元での共感です。)
違和感のアンテナは、だれかに決められるものでもないし、セーブされるものでもなく、もちろん敷居もなく、自由なはずです。違和感のアンテナみたいなものに引っかかりが多い方が、自分自身の熟成や、他者への機微の様なものに対しても敏感でいられる様に私は思います。そういう意味でも、違和感のアンテナがビンビンな印象を受ける村本さんは、魅力的に見えます。(言葉の使い方が不器用な印象はありますが、それは、その人なりの表現方法だと思います。)

違和感のアンテナ。私自身も、日々の中で違和感を感じる事は多々あります。 
例えば、同性婚への働きかけはあるけれど、事実婚には日本は全くといってよいほど言及されないし、パートナーの権利っていざという時には、ない、に等しいよね、とか。
LGBTの括りって、いわゆる当事者側から見ても縛りだよね、とか。
(LGBとTが一緒に括られていることにも違和感がありますし。)
レインボーの可視化って、正直ビジュアル的にもセンスがない気がするし、可視化ってそんなに求められているもの(いわゆる当事者側から)なのかな??とか。
レインボー、と言われてもどこにも属してないし…。とか。
マイノリティと呼ばれる人達の群れの一部は、何故マジョリティに寄る事を望むんだろう??、とか。

市民権を得ること=マジョリティになること、ではない、と私は思っています。もし、市民権を得たいならば、マイノリティ側にも弱さ?だけではない様な歩み寄りの姿勢がもう少しあってもよいのでは?、と思ったりもします。(特にセクマイに関していえば)
そもそも、マイノリティ/マジョリティ、という線引き自体が分断意識の塊みたいで違和感がありありなのですが…。
これはセクシャリティの問題だけではなく、政治問題、思想、にしてもマジョリティの安息、マイノリティの安息、に、各々が浸り過ぎている様に見えるからかもしれません。分断していないつもりが、実は分断されたり、していることで、互いが優位性を感じ、否定し合う様な空気感には恐ろしさすら感じます。(更には、マイノリティの中にも分断があったり、マジョリティにも分断があったり。仕方がないのかもしれませんが、ムラ社会の大小の差、にしか私には映りません。)
分断、は、それぞれが意見や見解を異とする事とは違うものだと思っています。線引き、と捉えてみると身近に感じるかもしれません。

ただ、それ以前に、だれもがマジョリティもマイノリティも包括して存在していると思うので、一側面を切り取って、自らがアイデンティティとしてしまう、または他者からされてしまうことには、本当にもったいなさというか、残念さ、の様なものを感じざるを得ません。

内包している違和感にも、事象への違和感にも必ずしも答えが出たり、整合性がつくものばかりだとは思っていません。むしろ、答えが出ない違和感の方が多い様に思います。
ただ、違和感を言葉にしたり、だれかに話すことで、異なる視点や違和感への整合性に繋がることもあるかもしれない。
そんな思いから、私達は、違和感、をテーマに様々な方々と対話し、交流できたら、と思っています。

という訳で、度々になりますが、告知です。

第0回、#レインボーになれなかった人のために  開催します!
日時:11月6日(月) 19時〜21時位(予定)
場所:アーク プライベートラウンジ カフェダイニング
tabelog.com/tokyo/A1303/A1…
会費はありません/出入り自由です
唯一のルールは相手を否定しない、論破しないこと、です。
興味のある方は是非、  mobile.twitter.com/everyoneisally
までリプライ、若しくはDMください!

よろしくお願いします。