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細々おうち英語の記録と
子ども(チコ 4歳)の記録
たまに
時事や読んだ事物への

意見の呟きを書いています

育児に1番持ち込んではいけないもの

それは、親のコンプレックス

ではなかろうか?


自分と子どもは別の個人・固体であり

年齢ごとの時代背景も違うのだから



「自分はこういう経験をした」

を基準に子どもに見えない枷を嵌めたり

選択肢を狭めてしまうのは

ある意味無責任な押し付けだと思う



本人は良かれと思っていたり

やむを得ない事だと思っていても

子どもからしたら単に

「可能性の芽を潰す」事だったり

「無理な力で引き摺り回される」事だったり

ポジティブな方向には向かいにくい

親の個人的感情と自己中心性の強い考え方



今でこそ対等にも話せる母

娘には激甘おばあちゃんで若干困るくらいで

結婚直前頃には大人女子どうしとして

仲良しだった母ですが

大学生頃までは結構縛りのキツイ親でした

そして大学の後半頃に大喧嘩をしてやっと自分の進路が自分のものになった



門限とか色々あっただけでなく

◯◯してはいけない、が凄く多かった。

◯◯なんて、も。


特に

「県外への進学は認めない」という縛りが

1番キツかった

ちなみに次が「留学はさせられない」で

その次が「友だちの家への外泊禁止」

音大進学はダメ、なんて縛りの中では割と可愛い方でした。

外に外に出たい私には

ものすごくもったいない時間だったように

感じられていますが

済んだことは仕方が無い(笑)。


大人になって知った事だけど

母は祖父に「女は地元に居ろ」と言われて

行きたかった県外の国立大ではなく

県内の私立大に進学したのです。

女子の4大卒自体が多くない時代でしたが

母の場合親族や友人の多くも

近県の国立や首都圏の私大・国立大を出ているので

色々未練があったのだと思います。


その直後に起きた親友の痛ましい事故死。

都内に進学をして一人暮らしをしていた親友が

不慮の事故で亡くなってしまったのです。


この組み合わせが母を意固地にしたであろう事は

今なら容易に想像できますが



何も知らない私は

中学受験の時も大学受験の時も

首都圏や隣県でさえ色々な理由をつけて却下され続け

何故?じゃあどうしろと?

とやりきれない気持ちで過ごし

上記の昔話を明かされたのは社会人になった後

もはや後の祭りです。

学び直しで今色々してるけど。

そう

置かれた場所に咲きながら

ツルや根を延ばしまくる

雑草魂です♪

早期知育×荒れ気味公立小で育って

1番良かったのはこの視野と許容範囲の広さかもw

考える力と逆境慣れ!?


そりゃ私も同じ経験をしたならば

娘を手元から離したく無いとは思うだろうけれど


逆に、母にされた事を反面教師として

娘を束縛したく無いと思う気持ちが強いのです。


自分の悲劇や自分の過去の栄光は自分のものであって

我が子の未来に確実に起こる事では無いのだから

そこに投影してはいけない

ただ、上手く行ったやり方や危険な事を事例として紹介するだけでいい



↓ともすれば育児でネガティヴになりがちな話題↓


今の我が家のように

保育園に延長の最後まで10時間以上居る生活

小さいうちは家庭で育てないと可哀想論を持つヒトにとってはとんでもない話なのかもしれないけれど

実際、0歳の頃はあちこちから可哀想と言われたさえー

家庭の教育方針を明確に持ち

園の方針を受け止め、強みと弱い部分を把握し

それを活かしながら足りない事を残りの持ち時間で補えばいい。

そう、ポジティブに捉える事にしている


子どものみの園生活ではなく

家族の暮らし側の問題だったとして

無人島…というと言い過ぎだから

現実的な例えとして

離島や海外に住んだとしても

テレビもネットも書籍や教材もあるし

「そこにしか無いプレミアムな時間と事物」

を味わい、教材にしながら

その時その時に

できる事と不足している事を把握し

伸ばしたり補強していけばいい。


そこでネガティブな感情や失敗談を過剰に入れては

ネガティヴバイアスの助長&負の言霊になってしまう。

そして子もネガティヴワールドに引き摺り込んで

継承させてしまう

キケンキケン魂

(そういう失敗の身近な例だと女の子が多く

結果が非正規点々だったり酷いと引きこもっている)


どうしてもポジティブ思考ができなくて

その場所や環境への不安や嫌な感情が拭えないならば

そこを離れる勇気も必要で

島なら本土、なんなら街中でも内陸でも引っ越せばいいし

海外なら、日本国内の好きな場所へ引っ越せば

サッと片付く

(保育園なら転園)

でも、隣の芝は青く見えても

実際に踏み入れてみたら

その下に落とし穴があったとか

天然芝じゃなく人工芝でしたなんてこともニヤニヤ

認可保育園は一度出たら同じ園には二度と戻れないルールなので

その辺は良くサーチしないといけません鉛筆

※うちは卒園まで変わる予定はありません。


単なる並行移動の引越しだと

汚部屋の片付けと同じで

思考の癖を変えない限りは

きっとまた新しい形で問題が生じると思う


大切なのは

まずは、今の環境をどれだけポジティブにとらえて活かせるか

そして

子どものありのままの姿をよく見る事と

できるだけ多くの選択肢に

色眼鏡を掛けない状態で

子どもに提示して自ら選ばせる

選択肢の提示は親の仕事だけれども

本人の得手不得手を客観的に見つけて伝えたり

それぞれの仕事の危険度や年収層を伝えるまで



提示して選ばせる

→子どもなんだから選べるわけ無いなんて思う人もいるだろうけれど

子どもには知る権利と学ぶ能力、そして選ぶ権利がありますから。


それに

マリオネットの操縦者を失った時

糸の先の人形は動けなくなってしまいますよね。

私の直接の知人で履歴の判る人に限った話ですが

この親子関係、大人になってからの職業や

文字の習得とも不思議な相関関係があるように感じます。

※学術調査ではありません(どちらも継続して面識のある範囲で5人前後です)

・2歳未満で文字を読み始めた人達→大学受験で1〜3浪(特に2浪が多い)

・就学時に文字を全く読めなかった人達→ブルーワーク(しかも、そこでも人間関係や思考力や段取り力などの問題で壁に当たり離職率が高い)


これって

早期読字の方は

親が知識中心に教え込み過ぎていたり、親の理想が子の実力に対して高すぎているのではないか?

逆にできない方は

親が未就学の時点で放置していた

結果なのではないか?

と思う所。

学び方の学びや

愛着、自己肯定感や親離れとも

関係しているのかもしれない


もちろん

詰め込みだけでなく段取り力も上手に鍛えた親御さんのお子さんや

親御さんの呪縛から早期に自力で脱出した人

貧困で栄養不足で通塾皆無でも

自力で高等教育まで特待や給付型奨学金を勝ち取り

上の学校に通って資格を取る人もいる

けれど、その割合ってかなり低くて

よほど綿密なシナリオかずば抜けた知力か運がなければ辿り着けない

もはや、下準備+地頭+運の領域


それを親のやらせたい事の範囲で

本人の能力でできて本人の嫌いじゃない事で…

とやっていったら選択肢は減って行く一方かなと。


街中育ちで幼稚園から中学まで徒歩圏内で高校大学も自転車距離の母と

郊外気味の地元で入れ替わりの多い公立小から私立中に進学した私では見てきた世界が違って

私が聞く友人の近況は

・地元の元いじめられっ子の◯◯は引きこもったらしい

・地元の□□の親、(海外の大きな)地震の最中に単身赴任先から家に(国際)電話してきた。無事だったけど(現地の)家がヤバいらしい

・地元の被虐待児だった△△は今盗みで警察に追われているらしい(後に収監)

・(同級生の)××君の親御さんは南半球から今度隣国に出張で来るからそのついでに寄ってもらって(他の子とは違う時期に)進路面談をする

とか、まあまあパンチが強めです。


親よりも幅広い層の現実の生き様を

フラットな立場で見てきているから

親よりは見えた事もあると思うけれど

我が子はきっとより一層私とは違う世界を沢山見るはず。

しかも、よりその時代の感覚にアジャストされて。


だから、比較をしてみたり

違いに驚いた話はするけれど

己の成功談やリベンジしたかった事を

娘に押し付ける事はしない

種まきと情報提供をして伴走をする、つもり


なーんて言って

どこかで自分の地雷を踏んで

子に被害を与えないように

中立、客観視を心がけたいと思う私です。



そんな縛りだらけの時代は嘘だったみたいに

孫に激甘な母と

あの時代とは嘘みたいに落ち着いた実家の学区の中学


ここでまたあの、ふしぎ遊戯の柳宿のセリフになるのかな?

「生きてりゃあねぇ!つらいことでもいつか笑って懐かしく話せる時が来るのよ!」

そう、生き延びればね。

そして、つらいことほど笑って語ってなんぼでしょ爆笑



それでは!