本日もお立ち寄りありがとうございます
言葉の学びの事で
色々読んで参りまして
大した内容ではありませんが
私の経験?意見を少し
データとして有意な数字的根拠は何もありません。
まず
私の祖母は山の手地域の生まれ
「ございます調母語話者(なんじゃそりゃ:笑)」です。
※東京でもべらんめえではない。
ところが二十代で東北に嫁ぎ
最初は言葉が通じなくてお店でまともに買い物出来なかったそうですが
数年前、関西から東北に来て10年以上になる関西弁話者の方と
・「〜さ○○して」どこどこへ○○して
・「んだっちゃね」そうよね
というような会話をするのを耳にしてしまい
詳しい文脈は忘れてしまいましたが、思わず自分の耳を疑ったのを覚えています。
※本人たちは東京風標準語と他地域の人にも分かりやすい話し方の関西弁で話しているまんまのつもりでいるようでした。
祖母はもう90をとうに超えて
すっかり東北の人
(東京に行く時は新幹線の中でスイッチするみたい)
でも、それがその土地で生活するって事なんだな
と思います。
次に
私の古い友人(小学校から英語を学び、その後日本文化に興味を持って留学して来たスラブ系言語母語話者)は
日本に来る度に日本語が上手くなるけれど
日本語は母国に帰ると単語や文法が揺らいでる感がある
一方で、第二言語のはずの英語は(私から見れば)ネイティブ並
英語は母国で当たり前に使われている第二"生活言語"みたいなもの
だから、英語は身体に染みついている(絶えず染め続けていて、かつ、アウトプットもしているからね)
その発音だって
中学高校に沢山いらしたカナダ人の先生方の発音を聴き慣れた私にも違和感無いもの。
母国語じゃないなんて外国人にはわからない。
結局、何したってネイティブ環境じゃなきゃ
ネイティブとは言えないのかもしれないけれど
「接点を持つ」、「生活言語」として使う事は
その言葉との大事な絆作りなんじゃないかなと思います。
極端な話、インド英語的な日本英語があっても良いんじゃないかと思うこの頃です。
(カタカナ読みってわけじゃなくてね)
ツールとしてインプットされて
アウトプットできるようにさえなれば
その後は生活に合わせて言葉遣いや訛りは変化するはず
英語万年赤点、まともな留学経験無しの私が言っても
何の根拠もありませんが(笑)。
あゝでも1つ
私がイギリスに短期ステイした時に持ち帰ったもの
単語の最後のNの発音。
あと、いくつかの文化的なもの
私の英語の発音の原点は
小さい頃好きでずっと聴いていた
the sound of musicのカセットテープ←
そして「大草原の小さな家」
これらはみんなアメリカ英語なのですが
その後のたった1度のブラッシュアップが
イギリスでの短期滞在でしたので
今でもペッパーピッグに出てくる言葉に触れると
とても懐かしく思い出します
実際に触れたインパクトが強すぎて。
とにもかくにも
やっぱり、暮らすのって大事ですね。
それではまた!
ごきげんよう!
みんなでコロナ時代を乗り切りましょう!