確信、にはなっていないのだけれど
「おむすび」についての考察を
少しずつ書いていこうと思います。
いやだってわたし、今はね
確実に
『おにぎり』と『おむすび』は違うものだと思っています。
これは、確信。
じゃぁ、どう違うのか、が
まだまだ明確に言葉にできないんだよね。
できないんだけど
違うのはわかるから書いていきます。
そして
少しでも
わたしが伝えたいおむすびが伝わっていったらいいな、と思っています。
今日は1の段。
わたし、嶋田佑紀とおむずびの歴史話から。
実はわたし
祖母の握ったおにぎりを食べて
戻したことがあります(ゲローッてしちゃいました)
小学生の時だったかなぁ。
全くおいしくなかった。
おいしくないというのとはちょっと違うな。
なんていうんだろう。
まずい、とかよりも
受け付けない、そんな感じだったな。
なんでだかわかりません、当時は。
「食べたくない」っていう拒絶反応みたいなものでした。
(今ならなんとなくわかるけど、それは次に書くとして。)
ただそれから先
人の握ったおにぎりが食べられなくなりました。
母の握ったおにぎりもダメでした。
行事の度に
お弁当はいつも「サンドイッチ」をお願いしてた。
今になって話を聞くと
「人の握ったおにぎり食べられない」っていう人
結構いらっしゃいますよね。
わたしもそうだったんです。
だから
おにぎりって
コンビニのが1番おいしいと思ってた。
ある意味
無味無臭だからね。
(イコール栄養もないってことなんだけど)
それでもお腹はふくれるし
脳みそ的には「おいしい」って認識するから。
人の握ったおにぎりよりずっとおいしいと感じていました。
だからわたしは
コンビニおむすび食べるな、って言わないの。
自分もそういった経験があるから。
ただ
今のわたしにはおいしくないです。
それこそ無味無臭で気持ち悪いし怖くて食べられなくなったのはここ数年のはなし。
さて。
はなしを戻して
ゲェーッとなった小学生の頃から大人になるまで
わたしはずっと人の握ったおにぎりを食べていなかったのかというと
多分、それはないとは思います。
ただ、おにぎりをおいしいと思った記憶はないです。
そして
おにぎりの記憶といえば
この記事でも書いているとおり
いつも飲みにいくお店のママさんのおにぎりでした。
ほおばった瞬間、ぶわーっって泣いたおにぎり。
なんで
たかがおにぎりがこんな心に響いてくるの!!!!!
って驚いた記憶があります。
単価めっちゃ安いしね
コストもかかってないじゃん。
手が込んでいるわけでもない。
なのになんで?!って。
言っちゃえば
ただご飯を握っただけでしょ。
なのに
心がほろほろほろほろってほどけた。
疲れた心が癒された。
おにぎりで。
たかがおにぎりで。
たかが握り飯で。
ある意味ショックでした。
その時わたしは
握り方を聞きました、ママに。
自分がつくっている方法と比べながら
ラップで巻く?とか
塩ぬる?とか。
たしか、ラップ巻いてなかった気がする。
でね
最初お茶碗に入れてコロコロしてから握る、って言ってた気がするんです。
聞いた限り
当時のわたしの握り方と
そんな大差を感じなかったんですよね。
握り方だけでいえば
大差なかったんです。
ママのおにぎりは三角形だったしね。
なんでかなー、でおわったのが
12年くらい前のはなしです。
・・・・そう。
握り方だけ聞いたら大差なかった。
スキル的なものじゃなかったんだろう、というのが
今わかることです。
そのママは
今北海道に行ってしまって(お店もたたんで)
多分もう会える機会はないと思います。
だからご本人に聞けないんですよ。
それがほんと残念。(実はちょこっと探したんだけど見つからなかった)
12年経った今になって
まさかあの日のおにぎりが
わたしの人生にこんなふうに関わるとは
当初は夢にも思わなかったわけで。
それから11年後に
またまた衝撃のおにぎりに出合うわけです。
宇宙の采配っていうのは
すごいですねぇ。
わたしに何を伝えたいんだろうか。








