今年の3.11は、私の第二の故郷ともいえる
大好きな福島にいました。
元ラジオ福島で現在フリーアナウンサーの大和田新さんの
取材に同行させていただいたのです。
浪江町請度出身のシンガーソングライター門馬よし彦さんが車を出してくださり、
大好きな福島にいました。
元ラジオ福島で現在フリーアナウンサーの大和田新さんの
取材に同行させていただいたのです。
浪江町請度出身のシンガーソングライター門馬よし彦さんが車を出してくださり、
深夜3時に福島市を出発。丸一日かけて、福島の沿岸部を回りました。
テレビでは映されない、本当の被災地の現状、
被災者の方々一人ひとりの気持ちを
見て、聞き、感じさせていただきました。
そんな貴重な経験を、自分のものだけにせず、
多くの方に知っていただきたいという気持ちで
いくつかに分けて、ブログを書いていきます。
もともと言葉にするのが下手くそだから
音楽という手段を使って表現しているような
人間ですのでちょっと時間がかかるかもしれませんが・・・
心を込めて、まっすぐに、言葉の糸を紡いでいこうと思います。
*
まず最初に、全体を通して何を今回一番学んだか
ということを書き留めておきます。
本当の「寄り添う」とはどういうことか、です。
それは、自分が持っている経験、感覚、感情すべてを
総動員させて「想像」すること。
そして、そのときに「被災者」とか「遺族」と一括りで
考えるのではなく、一人ひとりの状況や立場に合わせて考えること。
さらに、それを一回きりではなく、継続していくこと
なのだと、学びました。
こうやって言葉にすると、当たり前のことなんだけど、
この当たり前が、案外難しかったりするのが今の時代。
この当たり前が、案外難しかったりするのが今の時代。
人の痛みを自分のことのように感じることが
できる人がどんどん少なくなってきています。
大自然や生身の人間関係の中ではなく、
ゲームやSNSのようにバーチャルの中で過ごす時間が多いし、
本のように想像力を使わなくても、すぐに映像化してくれるテレビもある。
昔ほど、死に直接触れる機会も少なければ、
話題にすることさえタブーになりやすい風潮も。
だから、仕方ないといえば、仕方ないのかもしれない。
だけど、そのような機会が昔ほどなくても、
想像力を高める方法があります。
それは、現地に足を運んでみること。
例えば、3月の福島の風が、海が、どれだけ冷たかったか。
ヒートテックを2枚重ね、カイロを背中に貼り、ダウンを着ていても、
沿岸部は肩が震えるくらい、冷たく刺さるような潮風が吹きすさぶ。
その中で、着の身着のまま逃げ、一瞬でも海の水に触れようものなら・・・・・
日が暮れ、明かりもなく、暖を取る場所もなく、いつも頼りにしていた
人たちと連絡が取れないなんて、どれだけ心細かったか・・・
足元に落ちていた瓦礫を拾って、肌に強く当ててみる。
痛い・・・・・・・・・。
手のひら程度の大きさでも、角の尖った重さのあるコンクリートは十分な凶器になる。
自分の体より大きなそれが被さってこようものなら、痛いなんてもんじゃないだろう。
簡単にガレキといっても、それは間違いなく誰かが住んでいた大事な家だったり、
大切な思い出だったりする。それが一瞬にして、人の命を奪う凶器へと変わる。
どれほど切ないことだろうか・・・
ご遺族の方のご自宅に上がらせていただき、お線香をあげさせてもらう。
この遺影の写真の中に写っているのが、
もし、すべて自分の家族だったら、
恋人だったら、友達だったら・・・と
大切な人の顔を思い浮かべ、額の中にはめてみる。
私はまだ未婚だし子どももいないけど、
これが生涯を共にすると誓った愛する人、
自分の一部ともいえる子どもだったら……????
*
私が現地では想像したときのプロセスを細かく描写してみました。
それでも、言葉で表現するには、限度があるなぁと感じます。
文章、写真、映像で見るだけでは、
全く感じられない感覚がそこにはあるから。
「被災地のために何かしたいけど、
何をしたらいいかわからない」
という声があるけれど、そういう場合は、まず一度でも現地に足を運んで、
上に書いたような想像力のカケラを拾い集めるところから始めるということが
ひとつの支援の形になるのではないかと感じます。
ひとつの支援の形になるのではないかと感じます。
そうやって限りなく本人に近い状況に身を置いて想いを寄せるだけでも、
その慈愛の念が被災者の方々の心に届いて、
心の復興につながっていくように感じられるのです。
その慈愛の念が被災者の方々の心に届いて、
心の復興につながっていくように感じられるのです。
また、こういったことを何度か繰り返していくと、
自分が、誰のために、何ができるのか
自然とわかってくるものなのではないかとも思います。
むしろ、この過程がなければ、ニーズの合わない
自己満足の支援になってしまうのかもしれません。
*
逆に、想像力が豊かすぎる人は、色々感じすぎてしまって、辛くて、
向き合うことが苦しくなってしまうこともあるのではないでしょうか。
向き合うことが苦しくなってしまうこともあるのではないでしょうか。
私もどちらかというとそういうタイプなので、よくわかります。
でも、そういうときは、自分の心の中にある傷がまだ癒えていないときだったりします。
だから、まず自分の傷を癒すことが先でいいのではないかなぁと思います。
自分に余裕がないと、人に手を差し伸べることはできないから。
ただ、誰かの役に立てることで、自分が励まされ、癒されてしまう
という逆説的なことが起こるのも事実です。
思えば、私なんかは、いつも
"音楽の力を借りて心の復興のお手伝いをしたい"
と思いながら福島に行ったはずなのに、
帰る頃には、私のほうがすっかり福島の皆さんからたくさんの
温かな愛と、優しさと、励ましをいただいてしまっていることに気づきます。
という逆説的なことが起こるのも事実です。
思えば、私なんかは、いつも
"音楽の力を借りて心の復興のお手伝いをしたい"
と思いながら福島に行ったはずなのに、
帰る頃には、私のほうがすっかり福島の皆さんからたくさんの
温かな愛と、優しさと、励ましをいただいてしまっていることに気づきます。
だから、助けるのではなく、助け合いでいいのだと思いました。
自分ができる範囲でもいいから、想い続けていくこと、
そして、行動し続けていくことが大事なんだなと感じています。
自分ができる範囲でもいいから、想い続けていくこと、
そして、行動し続けていくことが大事なんだなと感じています。
今回被災地回りで、
「点」で終わっちゃダメなんだ。
「線」でつながっていかないと、
人の心に本当に寄り添うことはできない
という言葉を聞きました。
遺族の方に取材をすることが多い、大和田さんの言葉です。とても説得力があります。
あれから丸5年。
でも、原発廃炉まで40年。
被災地の方々、特に遺族にとっては、節目なんてない
という言葉も、現地ではたくさん耳にしました。
これを読んでくれるあなたが、初めの一点を踏み出したり、
または次の一点をつないで線にしていくきっかけになれば嬉しいです。
または次の一点をつないで線にしていくきっかけになれば嬉しいです。
つづく