帰国して2日目ですが、東京での仕事のオファーをもらいました


前のブログで書いていたのですが、フランスの会社の日本法人が出来ることになり、

ドバイにいるときに第一次電話面接をした、あの仕事です。

今日パリ本社にいる副社長のフランス人女性との第2面接があり、

前もって、質問されるだろう内容を予想して答えと共にワードに4枚にまとめ、練習してかまえておりました。

実際には、まったく予想外なことばかりを聞かれ、もう今まで20回は受けてきた面接ヒストリーの中で一番に最悪な出来。

しかも、前の職場の人から「彼女はコワモテ風で、アシスタントの子が小さくなってた」と言っていたので、最初からとてもびびってしまいました・・。

もう何言ってるかわからない状態で、質問されても、うーー・・・・・ん。。。。と沈黙10秒間がけっこう多くありましたし、

もうこれ落ちていいと思ってました。

すると面接のときに、この条件・この給料を提示しますから、オファーを受けるのなら今日中に返事ちょうだい と。



へーーー、ってか早い!ってか、オファーレターも提示されていないし、

時間もくれないのか!??? ありえないですよね。


だって、普通面接して数日後か一週間以内に返事がきて、条件を提示されて、

それでそれから○○日までには返事くださいと時間をもらい、決めるか決めないかです。


今日中(パリの今日中)に返事ちょうだいなんてムチャだよ!!!


それに、わたしは東北在住だから東京に引っ越すことにもなるわけで、心の準備が・・・・。

それよりも金銭の準備が・・・・。


ないなら、最初から受けるななんですよね、きっと。


これが私の問題・間違っている点なんだと思います。やっと客観的にそう今は思います。


とにかく、なんでもかんでも受けてしまうんです。

そして面接まで進むと必ず受かってしまうんです・・。面接で落ちたことない。。

そして受かってしまうと、有難いし、断ると申し訳ないし、受かったならもったいないしせっかくだからと思ってしまうし、この機会逃したらもうあとはないとあせってしまい、

オファーを飲んでしまう。交渉もしない。



地元でこのお仕事ならば、1パーセントも迷わないで決めています。

最高のキャリアになると思う。自宅から通えて、この給料でこの内容で、

総合職で、責任者だ。この会社はフランスの会社でスイスに本社があり、

世界中でビジネスを展開していて、今回初めて日本マーケット進出のために東京に事務所を置くことになった。スタッフは3人から始めるので、全て手探りで全てを自分達でこなし開拓していく。

チャレンジで、アドベンチャーな環境だ。


しかし、年収3◎◎万円となるとそこから住宅費や光熱費やネット代で100万以上はは減るでしょう、

そこから保険などで50万円は引かれるので、手取り150万円とかになるのかな

一方、東北の地元で責任のない定時で帰れる事務の派遣をすれば月手取りで16万円はもらえる。

実家なので住宅費は減らない。180万円は手取りで、そこから実家にお金を入れるとすると

結局東京と東北での収入は一緒になる。


なにを重視するかによるんだよね。

実際、地元で派遣の事務も何回かやってきましたが、責任なさすぎるしルーティーンワークで最高に詰まらなくってブーブー言っていたんだけどね。



ぶっちゃけ、ほんとうにぶっちゃけ

わたしは仕事ができない人だとわかっている。

わたしは仕事が好きではない、というか嫌い。したくない。結婚して家で家事したりテニスとかジムいきたい。

仕事できない。努力しないから。したくないことはしたくない。

嫌いなボスのご機嫌を取ることが出来ない。

嫌だと思ったらすぐにあきらめる。


もう海外での放浪にも相当疲れていて、東京に引っ越す気力も実は残っていない


責任のない仕事をしても収入が入ってくるのは楽だと思う。楽だけど最高につまらないけどね。

結婚している奥さんならいいよ、派遣の事務。でもあたしは未婚で・・・・安定は望んでいない。


→東北で派遣で事務の仕事をする道を今29歳になる時点で選択してしまった場合、今後のわたしの人生での選択はかなり限られてくることになる。東北で一生事務や安月給の仕事をして生きていくことになるんだろう。特に特技も誇れるキャリアもなく、ずっと”自給1100円”程度の仕事にしがみついて生きていくことになるのか・・・

結婚するプランは今の時点ないんだから、結婚はしないという前提で自分の人生の選択をしたほうが賢いことはわかっている

→それだったら、東京に一旦引っ越しちゃって、自分の将来にとってとっても有望なこの責任のある総合職を受けるのがベストな選択なんだろう

→問題点はというと、わたしにこの仕事、ポジションが務まるかということ

もちろん、なんでもやってみないとわからない&やる気次第 と言われるが、必ずしもそうではないことをわたしは知っている。特にわたしはLazyだし、とことん努力をしない人間なので、

いつもこうやって就職がとんとんと決まるが、結局は自分の力量や才能よりも数倍も上の仕事や責任を伴う仕事についてしまう為に、長続きしないしよけいに自分の首を絞めてきた気がする。「自分は出来ない」と思うから。

でもだからと言って、サービス業はつまらないのでマネージメント(いろいろと動かすことのできる総合職)の仕事がしたいと最近思うようになった


カタールで出会った友達の影響が強すぎる。周りはみんなパリ本社から駐在できているエリート君ばかりだったから、同じ歳で年収900万円クラスとかだった。そんな中でわたしは人間や自分の価値というものを、数字や地位で量ることを覚えてしまった。


でも本当のわたしは・・・お昼はビキニでビーチでワインを飲んで昼寝ができる月給15万円で役職もない南の島の生活でよい人間といえばそうなのだ。


結局、わたしは行く環境、接する人々に流され流されるんだ。

でも自分でわかっていることは、キャリアに走るタイプの人間ではないということ


したいことなに?と聞かれたら、答えられることは一つある。けどそれを言うとちょっとずれてると思われる。


大好きなあの彼と結婚して家族を作りたい そして、そのときそのときに応じた仕事が出来ればそれでいい


そう、わたしはそういう女だ。キャリアで生きていこうとは思わない。




28歳の上半期は半分以上死んだ状態で過ぎた。中東に行ったせいで、キャリアとお金ということについてとっても考えるようになった。中東は、役職の高い金持ちの欧米人とサービス業で安月給のインド・南アジア人の間の格差がすさまじく激しいので、自分という人間の価値や・自分はどこのポジションに立っていたいのかということについてじっくり考えるようになった。(こんなこと、日本人は高校時代にもう考えているんだろうね。わたしは中高エスカレート式だったからか、途中で一人道外れて留学しちゃったからか、全く考えていなかった)


やっぱり自分が何をしたいのかわからない


こんな↑発言をしたら、この間派遣で3週間だけ一緒に働いた人から厳しい言葉が返ってきて、唖然。

あんまりよくも知らない相手に、厳しい発言したりする人の気がわたしはよくわからない

付き合いが長く仲の良い友人には、たまに厳しいことを言いたくなることもあるけれど


いろんな人がいるね、世の中。ほんとうに。


たまに(というかきっとみんな毎日普通に)疲れるよね、他人を理解しようとすることって。


なんであの人はあんなふうに思うんだろう、なんであんなことが言えるんだろう、なんであんなことを私に対して言おうと思うんだろう ってね。



今パリは午後3時だ・・・・。今日中に返事って絶対無理だよ。。。

あと2時間?しかも今日中って一体何時までだよ。。。24時までじゃないよね、きっと勤務時間までだろうから17時なのだろうか。


あと2時間で無理だよ・・・。


しかもわたしは今47万円の借金があり、この状態で東京に引っ越すお金はない。


ので無理。ということにするか、


それとも、こんなすばらしいチャンス棒に振るなんて馬鹿だ! と思うか



こんなしょっちゅうしょっちゅう、人生の分かれ道を自分に与えていることに問題があるんだよね。

自分で自分を苦しい状況に追い込んでいるのは、まぎれもなく自分自身。


もうやめないと


苦しみや辛さから開放され、ただただ平和で穏やかな日々を過ごしたい







結局、労働ビサのキャンセルが29日の午後4時に終わったという知らせがきて、

それから30日3時AMの航空券の席を確保し、チケット変更代金1万円を支払い、

その夜に日本に帰れることになった

もう突然だった


会社にお金も支払ったし、航空券も確保したし、ビザもキャンセルされたのにもかかわらず、

会社はまだパスポートを返してくれない


飛行機に乗る直前までエスコートして返すという

わたしだけではなく、他の社員にもそうなのだとか

そんなことを疑問にも思わずにしたがっている彼らもまたかわいそうに思えてくる


だが、そんな中、PROの人、つまりわたしのビザキャンセルの手続きをしたり、空港にてパスポートを

返してくれる人から直接電話がかかってきてわたしに会いたいという



そして彼に会うと、

「会社の人には絶対に言わないと約束してくれるなら、今ここでパスポート返してあげる」と。


彼もまたわたしと同じ会社の従業員で、

国に帰国や休暇で帰る従業員のビザキャンセルの手続きや空港までのエスコートをするのが仕事。

サウジアラビア人。

そんな仕事の関係で車で行ったりきたりするし電話もたくさん使うのに、

ガソリンも車も、携帯代金も全て自前なんだそう。会社は一切払ってくれないそうで、

彼もまた相当切れていた。


「君のように会社に切れて帰る人いっぱい見てきた」という


わたしに厳しい態度でかかってきた人事の人は

「10年間この仕事しているけど、こんなケースは初めてだわ」と言っていたが。


だから人事は嫌われるのだろう。特にこの会社の人事は最悪だった

彼も、「うちの人事はほんと最悪。すると言って、しないし、責任者だってヴァカンスに言ったからと言って重要なケースは放置されるのはしょっちゅう」


「君にパスポートを渡すためだけに空港までついていくなんて本当にアホらしい」


わたしも同感で、その場でパスポートを返してもらった



かんがえてもみよう、

わたしのように国に帰る従業員(ヴァカンスでも永久帰国でも)全員のフライトに沿って

空港までついていかなくてはいけないって、どんだけ!?


わたしの便は夜中の3時だし。

彼も、普通にそんな夜中に行きたくなかったんだろう。だよね、だってパスポート渡して、

わたしが逃げないか見張るためだけにだよ(逃げるというのは、国外にいくとみせかけて実はUAEに留まるということ)


このファッキン国から外に出たくて出て行くんだからさ、

実はこの国に不法で滞在しますーーーなんて絶対ありえないわけジャン!

出て行くために手続きしたわけなのに



ということでパスポートをもらって初めてわたしはやっと自分の人生、人権を取り戻したのだった

本当にそう感じた



それからお母さんへのお土産を買いにモールにいき、

最後はお馴染みPAULのマカロンを食べて、ドバイ生活にピリオドを打った



空港。ドバイ空港、行けばわかると思いますが、

ほんとうにスターウォーズの世界です。


トランジットでも行かないわもう。



住むんじゃなくて観光で行っていればな。観光でいけば、なんて興味深い異世界なんだろう~という

感動があるのかもしれないね





ワールドカップなんぞ見ている暇もないご存知のこの状況下にいるわけで

ワールドカップなんぞ全くみていなかったのですが、


ご飯を食べているときに座っている目の前にテレビで中継しておりましたのね、

ポルトガル戦だったのね、


そこで半年前までの(半年前からわたしは半分死んでいる状態でしたので)

わたしだったら、最初からビデオとって、テレビ前確保してクリスチアーノ待ちだったはず



だが今回はポルトガルだーーで、終わり。見る気ゼロ。気力ないもんで



最後の最後まで見なかったんだけど、最後にクリスチアーノがMVPとったの?

かなにかでインタビューされてて画面中が彼になっちゃったぁ



ヤバイーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!



全身に瞬時に電気系オーーガズム走る。



なんなんだこのGOD 神的ゴージャスセクシーな生き物は


セクシーーダイナマイト

(たとえ古すぎますが、まさにこの単語がぴったりハマる)



この2、3年彼のことあんまり見ていなかったけれど、

大人になったねーーー、成長しているではないか!

一昔前までの、やんちゃさが抜けて、鋭くシャープになったかんじが、

よけいにやばすぎて、もう アハーーーーーーーン としか表現できないなぁ



クリスチアーノに睨まれたい。


微笑まれてしまったら、アイスのように溶けるか気絶して意識もどらないと思うので、

にらまれる程度がちょうどいいです。








ひさしぶりに書ける。


やっと今日、会社にいくら支払うか教えてもらえた。

そしてこっちに来るときに会社が支払った(結局はわたしが明日支払うことになる)飛行機のチケットは1ヶ月間有効な往復だったために、

6月30日の便までに、会社のプロセスが終わればこのチケットで帰国できることが新たに判明。


大きな会社は、いろんなデパートメントがあるし、立地も別々だから時間がとてもかかります。


新たにチケットを買うよりはずっとずっと救いなのですが、

帰国途中にドーハに寄って友達と週末を過ごしてから帰ろうかなと思っていたので

これはこれでちょっと悲しいですが、

もちろん既存チケットで帰れたほうが良い。


といっても、これまた最後の最後まで、ちくしょーーーーと叫びたくなるような内容ですが、

わたしの既存のチケットは成田行き。

ドバイー関空は毎日週7日就航している一方で、ドバイー成田は火曜日と水曜日運行していないのです。


そしてわたしの既存のチケットが有効なのは30日まで


30日は水曜日、

29日は火曜日・・・


その前の日の月曜日とは明日のことですが、

ドバイー日本間の便はAMなため、28日の月曜日便は実際は27日の夜中の3時出発なので、

つまり今夜・・・・。もう無理です。



な為、既存のチケットを関空行きに変更しなければいけない上に、

わたしの地元の東北の町へは、関空から便がない(日本の飛行機路線システムは世界一最悪、先進国のくせに)ので、

関空で取れたとしても、そこからバスで伊丹空港まで移動ですが、その日のうちに乗り継げる便が夜ないため、

一泊大阪府でホテルに泊まり、次の日伊丹ー地元の空港までというコースになります・・・。


すると結局はプラス4万円かかる。


既存のドバイー日本のチケットに乗れなくて、自分で新たにチケットを買えば7万円くらいです。

それで、ドーハに寄って友達と2日間を過ごし、その帰りはトルコ経由便をとり、イスタンブールで12時間観光するというコースのほうが、良いですが。




しかし今のわたしにそんな夢をみている資格はない



ほんとうにいろんな人に迷惑をかけ、Involveしてしまったので、

しばらくは地元で派遣でもバイトでもして、周りの人が好意と愛で貸してくれた借金を返していきます



借金があるとは本当に最悪の精神状態です。





パスポートがないせいで、身動きがとれない・・・・

早くこんな場所去りたい・・・


パスポートが自分の手元にないことがこんなにも恐怖なことなんて。

他人の手にゆだねられているという状況がこんなにもくやしいものなんて



毎日ひとりだ。はやく甥っ子に会いたい。甥っ子は”おかえりーー、どこ行ってたのぉぉ?”とイノセントな顔をして

わたしに質問をしてくれるのかな


はやく会いたい。

一人で異国になんてもういたくない。


わたしの異国人生は終わりにしよう。もう散々悪夢をみてきた。

女の子なんだから、苦労する必要ない。必要のない苦労は。




Corporate Partyのあと、シャールの友達たちと共にホテルの屋上にあるSkybarに移動した


屋上の屋外にあるこのバーはソファーがたくさんあり、わたしが好むCozyな感じだった


全てがうまく行き過ぎている、正直そう感じていた


カタールにきて一ヶ月後のことだった



そこでみんなわたしと会話をしたり、写真を一緒にとろうとしてきたが、

シャールだけはDistantでクールな態度だった


「なんだこいつ、自分から誘っておいて」と思いながらも


あるとき、横に座っている彼の横顔を見たときわたしは何かを一瞬感じた



彼らの中にはMarried Coupleが一組いて、彼らのマンションに場所を移して飲むことになった

彼らの住まいにもプールとサウナがあり、わたしは彼女のビキニを貸してもらった


かなり初対面である彼らの前でビキニかぁと思いながらと、

減るものじゃないし・楽しまないでどうする精神が勝り、

ジャグジーやプールに入って楽しんでいた


あるときわたしは一人でサウナに入っていくと、

すぐシャールもサウナに入ってきた


Skybarのときはクールだったくせに、

こんなとってもわかりやすい行動もするんだ かわいいと思った



そんなとき空気を読めないエドワーはまっ裸でサウナに入ってきた


エドワーは酔っ払うと裸になって暴走するくせがあるんだとみんな親切に説明してくれていたのだけれど、

初対面で裸ってすごいなーー

なんなんだこの状況は一体

すべてが面白い



その後彼らとグッバイし帰宅し、ベッドに入ると携帯にSMSが届いた


「今日は来てくれてありがとう。おやすみ」というシャールからのメッセージだった



Neatな人だと思った


だからといって、そのときのわたしは彼に対しての感情はなにもなかった


3週間目の木曜日のあと、4日ほどしてから

フェイスブックのInboxに見知らず人からのメッセージが届いていた



メッセージを読むと「こないだの木曜日Wにしたよね?Are you ready for another tequila shot?」


このあいだの7人の誰かなのは確かなんだけれど、彼のアイコン写真を見ても誰だか全然思い出せない。


7人のうちのうち一人だけCuteだなと思った人はいたけれど、彼意外の人の顔も名前も一切忘れていた


3人が名前と番号を書いて渡してくれた紙も捨てたかどっかいってたし


わたし:「ごめん、全然覚えてない。あの夜本気で酔っ払ってて誰ひとりとして覚えてないのよー」

と返信した


そのあと2時間後くらいしたらふとやっと彼のことを思い出した


そう、彼はあの夜バーで一緒にテキーラショットを飲んで、左側側から熱心に見ていたシャールだった



彼とはそれからフェイスブックで何度かメッセージを交わすようになり、

そんな中


「今度の木曜日、会社の食事会があるからよかったら来て欲しい」と誘われた


食事会ってなんじゃ!いきなり他社のディナーに部外者ひとりでいけませんよ!


「日本人のマネージャたちもたくさんくるから知り合いつくるいいきっかけになるし、お寿司も食べ放題だから絶対来て」と



ある意味ムチャな領域というか、シャイな人だったら絶対うんとは言わない手のお誘いだが、

わたしは、興味深いな~、行かないと損しそうだなぁ~、こんなことめったにないよな~と思ったことに対してはNOとは言わない!


さんざんしくじったあげく行くことにした



MANGOで購入した鮮やかなブルーのドレスを着て、ホテルへと向かった

その日わたしは残業だったため、シャールとの約束の時間よりも30分おくれて到着したが、

彼は一階まで迎えに来てくれた


2週間会ってないので正直彼がどういう顔をしていたかすっかり忘れていた

一階まで降りてきてくれた彼をみたときに、

わたしは全くなにも思わなかった


そしてディナー会場についてみて驚いた


ディナーではなく、会社規模の大パーティーだったのだ!!!


シャンデリアがきらびやかに輝くホテルのホールは貸切で、スーツやドレスに身をまとった彼の会社の人たちが400-500人は集まっていた



わぉ・・・・・。


なんて場所にきてしまったんだろう、そう思ってタジタジだった



ワインもシャンパンも飲み放題のあげく、ドバイで一番有名な日本食のシェフを招いて作ってもらったお寿司がずらーーーと並んでいた

サーモンから、トロまで取り放題だ

キャビアもある


同じテーブルにはこの間Wであった面子がずらっとそろっていて、

どうやらシャールとエドワーとタンギーというのが仲良し3人組みらしい

会社意外の人間はあきらかにわたし一人だけだったので最後まで、

緊張の嵐だった



彼の会社はフランスのエンジニアリング会社と日本のエンジニアリング会社が共同で同じプロジェクトを行っている、Joint Ventureで、

パーティー内は、日本人もいた。駐在員の人たちは奥さんと子供も連れてきていた


「やっぱみんな既婚者だよなー」「独身でカタールくる奴なんてあたしくらいだ」と思っていると、


ステージ横で着物を着て、マネージャーのアシストをしている日本人女性をみつけた。

シャールたちに聞くと、

彼女は日本人で、アメリカの大学のエンジニアリングの学位を持っていて、

日本のそのエンジニアリング会社から駐在できているエンジニアさんだった。




こうしてカタールでエンジニアとして働いている日本人女性もいるんだなぁ

めっちゃかっこいい


世界が果てしなく大きい舞台なんだと感じた









そしてその次の木曜日の夜がやってきた。3週間目のTGIT ”Thank God it’s Thursday”だ


この日わたしはある人と会う約束をしていた

彼の名前はJim.


以前わたしはニューヨークに住んでいた時期があり、マンハッタンでバーテンダーをして生計を立てていた

このバーには一番の常連さんのNeilというおじさんがいて、Jimは彼のお友達だった


わたしの誕生日の日、マンハッタンはストライキを起こし、公共機関は全てストップした

1000万人もいるNYCで地下鉄もバスも全て止まったのだから、

移動はタクシーのみになる

当時Queensに住んでいたわたしはタクシーに乗ってマンハッタンへ向かったが、2時間かかった

そしてすき焼きを囲んでNeil、Jimそしてお友達のともちゃんと4人でバースデーをした



そのJimが今回お友達の結婚式にスリランカへ行く途中にカタールのドーハでLayoverをするという

Transitの間が6時間あるので一緒にお食事をすることになったのだった

4年ぶりの再会だった


わたしたちはWホテルの一階でお食事をした。カタールにきてから初めてありつけたお寿司とシャンパンに幸せを感じながら、NYで出会った友人とこうして中東のカタールで再会している事実が本当に面白かった



タクシーに乗り空港へ向かうJimを見送ったあと

そのままWの上階にあるバーで待つみんなに合流した この間の3人だ



プールの脇の会談に座って飲みながら話ていたけれど

わたしは心ここにあらずだったのを覚えている


彼女がBFと手を握り合ったり、お互いの目を見詰め合って会話をする様子を横目に、

わたしはアメリカにいる彼のことを恋しく感じた

わたしは今ひとりカタールにいる、アメリカの彼に会いたい と思った

このときのわたしは彼と結婚したくって、仕方がなかった。

カタールにきたのも、彼と結婚するまでの単なるヒマつぶしだった



そんな中、どうやら同じバーでまた彼らは同僚グループをみつけたようで、

わたしたちの周りには一気に人だかりが出来ていた

若い男の子達がわんさか集まっていたけれど、わたしは愛想よく話しかけるのでもなくボーーっと一人でたたずんでいた

特にこっちにまできて話しかけてくる人もいない


そこでトイレに行こうと、その場を立ち去ろうとたちあがるといっきに彼らが声をかけてきた

7人くらいが一気に


彼らは全員フランス人だったので

わたしはフランス語で挨拶と自己紹介をした

すると彼らは「君フランス語話せるの?」と聞いてきたので

ニューカレドニアに住んでいたことを話すと、とっても興味深くつっこんできた


「日本人なら、カタール航空のクルー?」


「ううん、日本の企業の人事総務」

「へーめずらしいね」


トレイにいく。



トイレから戻ると、二人即効やってくる

ふたりは「僕達ブラザーズ」といって目をきらきらさせながら話しかけてくる


たしかにふたりともとっても小さな頭でスリムな体系で、

ほんとうの兄弟なんじゃないかろいうくらいに雰囲気が似ていた



わたしたちはバーで、テキーラショットで何倍も乾杯した


そのとき、わたしの左側にいた人がじーーーーっとわたしの目を見てきているという視線を感じた



会社では忙しい日々が続いたが家に戻ると常にひとりぼっちだった

そんなある日のカタール4日目。


アパートのドアをたたく音がした

ドアを開けてみると、日本人の女性が立っていた


「クッキーを焼いたので、挨拶にきました」と言って手作りのクッキーを手渡してくれた


彼女は同じアパートの2階に住んでいると言う


ジムのノート(ジムを利用するときにはアパート番号と名前を明記することになっている)をみたときに、

日本人の名前とアパート番号が書いてあったのをみて、日本人が住んでるんだと思ってきてくれたのだった


実はわたしはカタールに到着した日にジムに行った。そのとき彼女に会っていた

Tredmillでお互い走っていたけれど、お互いに日本人なのか他のアジア人なのかわからなかった



信じられないくらいにわたしはとってもうれしかった

こうして彼女が歩み寄ってきてくれたことで知り合いになることが出来たのだから



わたしはその頃

フェイスブックでカタール在住で誰か知り合いになれそうな人を探していた

そして、カタール在住、しかもオハイオ出身という人をみつけた

オハイオはわたしにはかなりゆかりの深い場所。それまで5年間オハイオにいるBFに会いに10回以上訪れていたのだから

オハイオでカタールだ!となんだか嬉しくなりこのJamesという人に連絡をとってみる。



彼はカタールフィルハーモニーオーケストラの団員だった

そして彼は、「今度、シェラトンホテルでリサイタルがあるからよかったらおいでよ」と言ってくれた



そしてわたしは、彼女を誘い一緒にこのリサイタルに行くことにした



いざとなってシェラトンに行ってみてびっくりした


リサイタルというよりはかなり高貴な方々ばかりが揃っているではないか!!!!



実はこのイベント、EU設立記念のパーティーだったのだった

そのため、集まっているのは綺麗なドレスに身を包んだ欧州の人ばかりだった

人目みただけで、位の高い人々なのは一目瞭然だった。政府関係とか良い会社勤務の奥様とか、そんなかんじだ

一方、わたしはアメリカのノリでジーンズ・・。うぅぅぅ



カタールにきて1週間でこんなことを体験していたわたしは本当にラッキーだった


そしてその一週間後の木曜日(アラブ諸国の休日は金曜日なので、若者が遊び歩くのは木曜日の夜)、彼女のBFたちと遊ぶことになった


当時彼女はフランス人のBFと付き合っていた。

彼女のアパートに行くとBFと彼のお友達がいた

彼女のBFはめちゃくちゃかっこいい。

ウッディーアレンの映画「Match Point」で主演していたJonathan Rhys Meyersの背を高くしてスーパーモデルにしたようなかんじ


そしてわたし達は出かけたが、その夜はどうやらなにかのビーチパーティーに行くらしかった

どんなライブなのか全く知らないまま、

InterContinentalホテルのビーチに到着した


そこには彼らの同僚のフランス人がわんさか集まっていて、ひとりひとり紹介された

彼らはみんなパリ本社からの駐在員としてきているエンジニアだった


日本人で中東にエンジニアとして駐在しているのは結婚しているおじさんたちばかりだけれども、

フランス人は20代で結婚している人のほうがうんと少ない



そんな中、ビーチ上の特設会場ステージからサウンドが流れてきて、

オーディエンスから大きな歓声があがった


するとありえないことが起きたのだった!



David Guettaだーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

( ゚-゚)( ゚ロ゚)(( ロ゚)゚((( ロ)~゚ ゚\(゜□゜)/


David Guettaが日本で知られているかはよくしらないけれど、

彼はフランスのDJで世界を代表するスーパースター

今となってはファーギーやケリー・ローランドともFeaturingしている


わたしが彼の曲をはじめて耳にしたのはニューカレドニアでだった

ニューカレドニアはフランス領なので、ラジオやテレビ上でフランスの音楽やフレンチカリビアンの”Zouk”という音楽がたくさん流れていた

当時ニューカレドニアでの新しい生活を始めたばかりのわたしの耳に入ってきたのは、

David Guettaの”Baby when the light go out”だった

この曲は、美しいニューカレドニアのビーチと友人と過ごすナイトライフにぴったりのサウンドだった



そんな、わたしが大好きなDavid Guettaの曲をいつも歌っているシンガーのChris Willisが

そのときカタールにいるわたしの目の前のステージで立ちDavid Guettaの「Love is gone」と歌っていたのだ


本気で鳥肌がたった


信じられなかった。何も知らずにこのビーチパーティーに連れてきてもらったから余計に





カタールに来てまだ2週間目の出来事だった








2009年5月2日、わたしはカタールに移住した

日系商社の海外支店での勤務というこのチャンスをわたしはつかむことにした


カタール航空の機内でのわたしの心臓はありえないほどの不安をかかえていた

エコノミーの機内、どこを見渡しても男性ばかりなのだ

男性というか男性労働者ばかりだ。インド人やアフリカ人など、いままで乗ってきた飛行機とは全く違う客層だったので、よけいに不安になった


あたしは今一体どんな未知の世界へと向って空を飛んでいるのだろう



機内のとなりの席には韓国人のおじさんと子供達が座っていた。

彼はナイジェリアでビジネスをしているという。ナイジェリアはとても危ないけれど、

リスクを背負ってまでビジネスチャンスを夢見て移住したそうだ


その後理由は忘れたがわたしは席替えをさせられ席を移った

新しい席のとなりの人はウクライナ人だった

彼は船で働いている人で、念願のお休みにウクライナへと帰る途中だった

彼は何年も船で働いてウクライナにいる妻と娘に仕送りをしているそう

船は貨物なので、乗ったら半年とか一年ウクライナには帰れないらしい

それでも、生活のためだと彼は言い切った



そのうち飛行機はカタール国際空港に到着した

空港の外には、会社の運転手がわたしを待っていた

インド人のディーパック。


彼はわたしの住まいまで送ってくれた

そして送り届けるとそこでもうバイバイだった


突然案内されてきたこの新しい住まいとなる空間にひとり、ぽつっと取り残されたという

事実によってとてつもない不安と孤独感が一気に襲ってきた


右も左もわからないーー


電話もないし携帯もない



そのうちわたしは外に出てみることにした



会社が用意してくれたこの住まいは、ゲートがあり守衛さんがいる大きなCompoundだ

広大な土地にはテニスコートが何面もあり、スカッシュコートに。

学校や体育館にあるような25mプール、20mプール、そして子供が楽しめるウォータースライダーのあるプールと3つもある。

小さなスーパーもあり、ビリヤードやゲーム、卓球ができるリクリエーションセンターの中にはインターネットが出来るPCもそろっていた


全て住人は無料



今思えばすばらしいが、カタール到着初日のわたしは、とにかく一人ぼっちでさみしい思いにかられておかしくなりそうになっていた


次の日からさっそく出勤だったが、カタール到着3日後にわたしは体調を崩し病院行きとなった

脱水症状なのか、ストレスなのか、精神的な疲れからか

きっと全てだろう