日本の宝がまた1人旅立たれた。この方の状況を通して現実を認識し、今を生きる方々の糧としなければならないとつくづく思うのであります。ただ「残念だった」で済ませてはならないのだと。詳細は不明ではありますが、経過を見ていると今の医療を素直に受けた結果なのだろうと思う。

《自覚症状が無いもの》
 そもそも「癌」という物体が体内で発生したとしまして、原則として癌そのものに症状はありません。有ったとしても軽微です。症状を出しやすい部位に癌が発生した場合は本人が気づきやすく、そうでない部位では気づきにくいということです。咽頭であれば飲み込み時に違和感、食道であれば飲み込んだ後に違和感、胃は諸症状が出やすいので分かりにくい。気管支に顔を出せば刺激となって咳が出る。気管支の血管を損傷すれば喀血する。肺実質だと分からない。肝臓も膵臓も原則分からない。便が出なくなるくらい狭くならないと大腸癌は分からない。骨に至れば激痛となる(骨膜が敏感)。

神経接触か、血管損傷かが起こらねば、症状としては何も出ない。神経に触る場合はそこの感度によっても症状の出し具合は変わる。


《だから早期発見を?》
 癌検診などで発見されたときにどのような経過を辿るかといえば、三大療法が待っている。医者は有無を言わさない。従わない患者に対しては「どうかしている」「医療を受けないと死ぬ」などと平気で脅すし、医療界の常識を強要してくる傲慢さを持っている。言われた人の気持ちなど考えずに、平気で余命宣告もする。

早く発見する事に意味は有る。
問題は、発覚したときにどうするのか?
という心構えである。


《医療は癌を治せない》
 では、現実として癌を治す技術が医療にあるかと問われれば、NOである。そんなものは一切ない。そんなことは全ての医者が知っている。「余命宣告=医療ではお手上げなんですよ」という宣言だということに気づかねばならない。この宣言を聞いたのに、なぜ頼る? 意味が解らないと気づかねばならない。
 そもそも癌に治癒率などという評価はこの世に存在しない。医学における癌の評価は5年生存率のみ。5年後に生きている人(心臓の拍動がある人)の比率を述べているに過ぎない。悪性度が高いと2年生存率となる(5年もつ人がいなくて評価不能なとき)。
 地震に遭遇したときの生存確率は家だと*%ですと言っているに過ぎない。耐震構造か?家具の固定具合は?生命力は?筋力は?などの個人差は一切、加味されない。故に、自分がどこに入るかは未知なのである。

参照:◆ 余命宣告を受けても病院へ通う意味
参照:◆ 癌から戻ってきた人々
参照:◆ 癌の評価方法(ちょっと辛い内容)
その他、諸々情報:癌(ガン) ( 22 )医療への心得 ( 20 )


《死因は肺炎》
 インフルエンザから肺炎となり死去されました。直接死因は肺炎でしたが、日が経つにつれて「死因は膵臓癌」と報道されるようになりました。何らかの情報操作が入ったのかなと思われます。ご本人の免疫力が下がってしまい、インフルエンザに対抗する力を失っていたため、ウイルスで壊れた組織へ細菌による二次感染を併発したと推察できます。抗生物質も投与されたでしょうが、自己治癒力で対抗できるレベルまで菌数が減らなかったか、薬剤耐性菌が入れ替わり制御不能になったか、が、一般的な流れです。腸内細菌も相当数が死滅して免疫力を更に落としたでしょうし。
 肺炎に対して医学でできることは「薬剤を投与する」しかありませんので、免疫力を高めようという方法論はございません。ですから入院すれば病気にかかわらず体力が低ければ、この道を辿ることは珍しくはありません。多臓器不全となれば薬剤は何の役にも立ちません。むしろ害。副作用が前面となれば全薬中止に。お手上げとなります。
 肺炎の最後は呼吸不全で、ガス交換ができないほどに肺が壊れてしまった。肺炎で亡くなるということは、生きたまま肺細胞が細菌によって食われ続ける状況です。生きたまま腐る。それが感染症死。

そこまで体力が落ちた理由は何か?

 報道されてはいないようですが、抗癌剤であろう事は容易に察しがつきます。抗癌剤を使うべきだとか止めるべきだとかの話しではないのです。学び尽くして納得して使うという人生の選択を否定はできませんので。本当のことを自ら学んだのか? 医者が本当のことを言ったのか? も問題となります。ただ明確に言えることは、体力が回復できる力が残っている内に抗癌剤を止めなければ、回復能力も消失してしまいます。ですから、抗癌剤で重要なのは引き際です。Deadlineを越えれば、文字通り戻れません。


《医療で最善の努力をする》
 医療現場において、わたしもこの言葉はよく使いました。できることはやりきろうとする医者の心意気はございます。医者の手の内にあるものは医療技術しかないのですから、手持ちの札を、いつ、どのタイミングで切るのか!? が全てなのです。
 その結果が悪ければこの一言で終わらせます。「最善を尽くしましたが残念です」と。癌における最善を尽くすということは、三大治療をやり尽くすということです。

参照:◆ 医療行為は非科学的なのです


《医学は対癌の結果を残していない》
 医療人は、この事実を真摯に受け止めなければならないのです。医師免許を取って30年。結果においては進歩が無い。あったとしても誤差範囲。
 くどいですが、医療が無意味だとはいいません。事実と現実を見て考えていかねばと思います。技術の進歩により手術の負担は減ったことは素晴らしい。機械の進歩により放射線照射の精度も上がったことは素晴らしい。使い方の進歩により抗癌剤の、、、どうだろう、分からない。状況により恩恵はありますので、恩恵+幸せが、合併症+副作用+生活の質低下を上回るのかが判断の境目となるでしょう。


《医療以外にはどうすれば?》
 何年もかかって作り出した癌を一夜で何とかしようなどという発想はやめよう。試験前夜になって勉強していないことを悔いても試験には合格しない。
 先ず、発病したということ事実に目を向け、自己の治癒力が落ちていたという現実を認識すること。落とす原因の殆どは生活の中と、性格の中に有るということ。その原因を一つでも排除すること。

 生活の改善といえば、食と腸。NHKの腸内フローラという番組でも述べられていました。以前にもたくさんの医師が腸の重要さを述べられていました。腸を制すれば健康を制すると言っても過言ではないので、食生活と整腸に焦点を当てること。
 代謝力を上げるには補酵素であるビタミンとミネラルを天然物から積極的に摂る。うっかりお手軽を目指せば健康からは離れます。人工的な行程をなるべく経ない食材で。御塩も重要なミネラル源にて、心不全・腎不全が無ければ適塩(ああ、美味しい塩加減!)でよし。汗などで失われるなら余分に補給。
 あとは抗酸化物質とか、ω3脂肪酸とか、まあ、やるべき事は沢山有るという状況ではありますね。話すと何時間もかかるでしょうし、取り敢えずは講演会に来て頂くといいんですけど。。。本を読んで頂くとか。。。
 まあこれを同時に行う食生活は簡単です。菜食主義となれば良い。野菜、果物、種子類、海藻類。安心安全であり、幸せに育った農作物を旬で新鮮な内に頂くこと。
 寝たきりも良くないので、気持ち良い生活を心がけること。ただし、無理の無い範囲で動きましょう。癒し効果は自律神経を安定化させ免疫力も高める。故に、気持ちが良い、清々しい、楽しい、などと思える場所へ転地療養するのも一考。判断基準は「好きか」「楽しいか」「調子が良いか」「幸せか」「直感で」いいと思います。

何とかしたいなら、

健康への方法を修行にしてはいけない。単に何かにすがってはいけない。本当に根本から治せるのは自分しかいない。自らが楽しく健康的な方法を取り入れなければ意味をなさない。

心の底から
 幸せに暮らさなければならない
  生きている自分を愛さなければならない
   生かされていることへの感謝をしなければならない


問)この世に来た理由は何ですか?

参照:◆ 癌から戻ってきた人々