うちの夫婦は

とにかくよく話す。

 

話し込んでるうちに

午前様なんてのもしょっちゅう。

 

だからウチは

夫婦で夜型に

なっちまうのかもしれん(笑)

 

 

 

ゆうべも

ある出来事について

話をしました。

 

その時にこんなことを

言ったんです。

 

 

 

【今日のあぶの男なら節】
 

あぶ

 

歩み寄るってのは
   相手のためにするんじゃない。
   自分のためにするんだよ。
自分が心地よくなるために
心地いい場所まで歩み寄るんだよ。
相手のために何かをしても
心地よくなんてならないし
相手の心地いいとこなんて
   わからないからね。

 

 

 

歩み寄るって

時と場合によっては

妥協するような

ニュアンスもある。

 

自分はそうじゃないけど

まぁ、相手がそうだし

折れますかね、みたいな。

 

仕方ない

丸くおさめますかね、みたいな。

 

 

 

パートナーや

人間関係のね

話をしてた時なの。

 

相手に歩み寄ることって

違う人間同士が一緒にいる時

一緒に何かする時

必要なこともあると思うんだ。

 

そんな時

ちっ、仕方ねーな、とか

くそー、ここは折れとくか、とか

こっちが折れたんだかんね、とか

思っちゃうんだよねー(遠い目)

 

目の前の何かを

解決したり

円滑にしたり

するために。

 

こじらせたり

怒らせたり

もめたり

しないために。

 

言いづらいことを

言わずに済ませるために。

 

そしてねー

それやってると

その人間関係って

私の場合はだけど

例外なく破綻するんだよ。

 

本意じゃないけど

仕方ないから相手に合わせるってのも

そういうことだと思う。

 

 

 

あぶのこの言葉を聞いて

はっ!としたんだな。

 

私にとっての歩み寄りは

妥協だったし

我慢だったし

いい子ちゃんの演出だったし

物分かりのいいフリだったし

 

心からそれをしてるってことは

おそらくなかったんじゃないかって

思ったんだ。

 

だもの

心の中に

たまっていく障害物は

増えるばかりだよね。

 

だってさ

私が「してあげてる」って

気持ちなんだもの。

 

しかも、そうしてくれと

頼まれたわけじゃないのに(爆)

 

そういう時ってすでに

相手を下に見てる。

完全な上から目線(笑)

 

 

 

あぶは

自分が心地よくなるために

人に歩み寄ると言う。

 

あぶにとっての心地よさって

相手とうれしく楽しく

過ごすことなんだって。

 

だから

ここまで歩み寄ったら

相手との関係の中で

心地よくいられると感じるところまで

相手と自分をすり合わせるのだそうだ。

 

相手に合わせることでも

相手に同調することでも

ないのだとあぶは言う。

 

そんな彼は

相手を尊重しているのだと感じる。

 

だから

相手と自分の違いが

問題にはならないのだ。

 

それによって

お互いの考え方や感じ方

いろいろなものの距離が縮まって

 

結果、相手も心地よくなって

その人間関係は

素敵なものになるって

 

彼が私にしてくれることを

振り返ってみても思う。

 

 

 

あぶは私にたくさん

歩み寄ってくれている。

 

同意もしないけど

否定もしないってのも

私たち夫婦の中では

まあ、あぶがね

よくしてくれることで

 

それはすごい歩み寄りだと思う。

 

 

 

歩み寄りって

わかる、わかる、そーだよねーって

あなたの言う通りだよねーって

同調するのとは違うんだよね。

 

 

 

たとえ私の考え方や感じ方が

あぶのそれとまったく違っても

 

真っ向否定して

自分の正しさを

主張するのではなく

 

私といい関係を築くためにも

歩み寄ることが

彼の心地いい状態であり

 

私も

歩み寄ってもらえたこと

頭ごなしに否定されないこと

尊重されたこと

それに感謝の気持ちが湧く。

 

 

 

つくづく思う。

 

結局ね

本当の意味での

自分の心地よさって

 

相手の、すべての人の

心地よさに繋がるんだ、って。

 

だからこそ

心地いいところまでなんだ

歩み寄るのは。

 

相手の心地よさなんて

いやマジほんっとわかんないし

 

そこに犠牲があっては

ならないんだと

あらためて思う。

 

 

 

そうして

 

自分を大切にすれば

自分を変に守ろうとしなければ

 

相手を悪者や異端者にせず

純粋に、ただ「私は」こうです、って

生きられるし

 

違いを悪とせず

責めもせず

 

結果、相手や周りの人に

なんらかのレッテルを張らず

自然に尊重し大切にする

 

そういうことになると

 

あぶを見ていて感じる。

 

 

 

耳障りのいいことを
言ってくれる人がいいパートナー

同意してくれる人がいいパートナー

 

とか


自分が折れることで
自分が合わせることで
成立させているパートナーシップ

 

また、自分がそれを

してあげているという目線で

相手を見ることによっての

どこかで生まれる
見下しや被害者意識

      あ、ここでのパートナーってのは
      あらゆる人間関係ね


とか

そういうのがベースにあると
どっかで歯車が
狂い始めることを
私は体験から実感してる。

そして
誰も幸せにならない。

精神的に病む割には
マジ何の進展もない(笑)


ないどころか
心地よくない方に行っちゃう。
 

 


あぶがぼそっと言った言葉で
私の中にあったものが
そんなふうに明確な輪郭を持ち
ストンとハートに落ちてきた。

 

私はいつでも

おうちであぶに

再教育されてる(笑)

 

また私は

自分の真ん中に戻れた。

 

 

 

結論から
決めたらいいんだと思う。

幸せになりたい
心地いいつながりを持ちたい
とかさ。

じゃあ、どうするかってのは
そこで見えてくる。






 

アイスが大好き
瞬撮フォトグラファー

 

 

あぶこと大関学

ブログ:あぶろぐ

サイト:Manabu Ozeki Photography

 

 

 

 

 

 

 

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