人生って一点の曇りもない。

端から見たら
顔をしかめたくなるような人も、
振り返ったら痛い過去の自分も、

その時は、それが、
その時のその人に、
その時の自分に、
できることの精一杯だから。



スーパーで、
泣いている子供を、
怒鳴っているお母さんを
見かけたことがある。

「うるさい!
 ぴーぴー泣いてんじゃないよ!
 だからお前なんかいらないんだよ!」

この世界にある、
いい、悪い、で言えば、
それは悪いことなのかもしれない。

きっとひどいことだ。
見ていて胸がぎゅーっと痛んだ。



けれど、
その時のそのお母さんには、
それが精一杯だった。

私が知ることのない彼女の人生で、

もしかしたら、
ダンナさんに暴力を
振るわれているかもしれない、

もしかしたら、
自分が子供の頃虐待を
されていたのかもしれない、

もしかしたら、
借金に追われて苦しい毎日を
送っていたのかもしれない、

それが何かはわからなけれど、
決して美しくない姿になる時、
人は必ず心のどこかに
暗い濃い影を持っている。

その影に心を蝕まれて、
本来の姿からはほど遠くなってゆく。
ほど遠くなりながら、
その時の精一杯を生きる。

ティースプーンに入る水と、
やかんに入る水の量が全く違うように、
人は、その時々の精一杯が、
全然違う。

だから、そのお母さんの精一杯は、
その時、それだったのだろう。



子供にそういうことを
言ってもいいのだと
言っているのではない。



みんな、人は、
その時の自分を精一杯生きている。

その精一杯が
いびつなことはよくある。

人から批判されるような
こともあるだろう。

人から責められるような
こともあるだろう。

それでも、それが、その時の、
その人の、自分の、精一杯なのだ。

だから、それでいいと、思う。



人は、ひとつところに
とどまることができない。

それを成長と呼ぶこともあるし、
変化と呼ぶこともあるだろう。

その精一杯がうしろにあるから、
とどまることなく
流れていくのだと思う。



私も、
うしろに、いびつな精一杯を、
たくさん、たくさん、持っている。

今も、いびつな精一杯を、
たくさん、たくさん、持っている。

これからも、きっと。

そして、私は、そのいびつな精一杯が、
みんな、みんな、大好きだ。

いびつをいびつだと
笑えるようになった時、
私は人生のすべてを肯定できた。
すべてが私の愛すべきカケラ。

カッコ悪いと思う自分も、
みっともないと思う自分も、
恥ずかしいと思う自分も、
未熟だと思う自分も、
やっちゃった思う自分も、
みんな、みんな、大好きだ。

なければよかったなんて思わない。
それが悪いなんて
レッテルも貼らない。

そこには泣けちゃうほどの
精一杯が詰まってるんだから。

過去に感謝だなんて
言葉をあてがうのは、
なんかキレイ過ぎる。

もちろん、
それがあったからの
今だから感謝だよ。

でも、
そんな簡単なことじゃない。

そこには入り組んだ
複雑な感情が絡み合い、
ありがとう、なんて、
簡単に片付けられない。

ただ好きなんだ。
うしろにある、
今もある、
いびつな精一杯が。

泣きそうになりながら、
実は結構頑張ってたでしょ、って、
実はキチキチになってたでしょ、って、
過ぎてきたいびつな精一杯を眺める。

みんなおっけ。

だから、
人生には一点の曇りもないと、
私は思うんだよ。

振り返ってわかることは、
その当時はわからなかったこと。

わからなかったその頃は、
案外一生懸命で
大真面目にやってたんだよね。

今見たら、げ!ってことでもさ。



親愛なる「私」という友達に、
この記事を贈ります。

泣きながら、うつむきながら、
振り返ったり、悔やんだりする、
自分を責めたくなったり、
人を責めたくなったりする、

そんな今日のあなたも
いびつな精一杯と一緒で最高です。