人って
人にやさしくできないと
すっごく悲しんだなぁ、って
思った。

たとえば
自分が誰かにイラついて
キツイこと言ったり
攻撃したとする。

そこに怒りという
感情があるからこその
行為なわけだけど

つまり、自分の
思い通りに振る舞うんだけど

それなにの、悲しい。
言いたいから言う
責めたいから責める
それなのに。

自分の思い通りにしたら
すっきりしそうなものなのに
全然すっきりしない(←経験者)。

心の中に、行き場のない
不快な重い鈍いイヤな感覚が残る。

それをまた相手に
ぶつけたりして。

怒りたいから怒ってるのに
悲しくなって
ひとりこっそり
泣いちゃうことがある。

そんな時思う。

本当はやさしくしたいんだ
本当はこんなことしたくないんだ
って。



逆に、誰かにやさしくできた時
自分まですごーく
あったかくてうれしくなる。

喜んでいる相手の笑顔を見て
泣きそうなくらい
幸せな気持ちになる。



そして、思う。

人って、つくづく
愛なんだなぁ、って。

人は自分本来の姿でいる時
イキイキと輝いて
喜びに満ちて、楽しくて
とっても幸せ。

けれど
自分本来の姿から
離れてしまうと
苦しくて、悲しくて
重たい気持ちになってしまう。

だから
愛から離れた
生き方をしていると
空しくて、悲しくて
苦しい気持ちになる。

他の何が満たされていても
心が満たされない。

自分が望むこと以外の
ことをしていると
とっても苦しくなるのも
同じだよね。

人は自分でない時
いちばん苦しいんだ。



昔、こんな童話があった。

あんまり小さかったから
タイトルとか覚えてないんだけど。

美しいお姫様がいて
悪い魔法使いに
魔法をかけられてしまう。

昼は美しい姫の姿が
夜になると醜いカエルになる。

そして、心が容姿と逆転する。

美しい姫の時は
人を傷つけ、なじり
意地悪をする。

カエルの時は
人をいたわり、愛し
昼間自分が傷つけた人を思って
涙する。

夜にカエルになった
お姫様のシーンが
子供心ながらに
すごく印象的だった。

私は
あんなひどいことを
人々にしたくないのに

魔法で昼間は
別人のようになってしまう。

みんなにやさしくしたいのに
それがかなわない

確か、そんな感じのことを言って
池で泣くんです。

悲しくて、悲しくて
ぽろぽろ涙を流して。



人にやさしくできなかった時
いつもその童話を思い出す。

大切にしたい人を
傷つけてしまったり
苦しめてしまった時
泣いていたカエルを思い出す。

人の心の中には
そのお姫様のように
葛藤する部分がある。



そして
いちばんやさしくしてほしいのは
人を傷つけたり、攻撃したりする
暴れん坊の自分なんだよね。

だから
悔いる自分もいながらでもいい、
暴れん坊の自分にやさしくしてみる。

自分が自分に。

葛藤するってのは
よくないイメージがあるけど
葛藤して、あっちの自分と、
こっちの自分がいるからこそ
片方が片方を
ケアできるって考え方もある。

自分が自分の味方になる。

したことが
正しい、正しくないは
置いておいて

まず、暴れん坊を心で抱きしめる。

そうすると
不思議と泣けてきちゃう。

武装していた怒りが溶けて
その下の
悲しいさんと
さびしいさんが出てきて
涙が流れる。

本当は
誰よりも自分を責めている
そんな悲しいさんとさびしいさん。

そんな自分に
うんとやさしくすると
周りの人にもやさしくなれる。



だから、自分に。
まず、自分に、ハグハグ。
心を、ハグハグ。

みんな本当はとってもやさしい。