少し前まで、
今思えば笑えるんだけど、
息が吸えなかった。

いや、普通に呼吸はしていた。
けれど、深く思い切り吸い込もうとすると、
肺の途中までしか酸素が入ってこないような…
なんか苦しいの。
もっと吸いたい!って。



ある時、
呼吸はまず「吐く」ことが大切だと聞き、
試してみた。

もう吐けないというくらいまで、
息を吐き切る。
すると、自然に吸い込こむ。

すぅーっ…

肺の奥の奥まで酸素が行き渡る感覚。

わぁ、欲しかったのはこれ、これ、
この深く吸い込む感じ。
深い呼吸。

呼吸が浅かったんだなぁ。



その時思った。
呼吸だけじゃなく、
どんなことにも言える。

入れよう、入れようとする前に、
(変わろう、よくなろうも同様)
元からあるものを、まず、
出さないと入らない(変わらない)って。

当たり前なんだけど、
つい、入れる(変わる)ことにばかり
気持ちが向く。

たとえば、
コップに水をくみたいと思えば、
まず、そのコップが空でないとね。
入らないもんね。

そゆこと(笑)



私は、今、人生で言えば、
出す時期なんだと思う。
出して、出して、出して、出し切った時、
息を吐き切ると自然に吸い込むように、
今度は入れる作業を始めるんだろう。

人生において「出す」とは。

うーん、私の場合で言えば、
何かをやろうとしない、
何かになろうとしない、
そういうことかもしれない。

今自分の中にあるもので、
毎日を過ごしていく。

出す、と言うか、
手放す、と言うか、
今はその内面の作業がとても楽しい。

昔の私なら、
きっと、今の自分は
よくない状態に思えたに違いない。

それは、今までずっと、
「これがいい」と思っていたものを、
やめる、手放す作業。



そして、それは、
自分の価値の放棄とも言える。
そして、それは、時に恐ろしい。

もうこれはいいや、
もうこれはイヤだ、
そう感じるものにバイバイしたいのに、
頭では逆のことを思う。

これすっごくいいはずなんだよ、
やってるといいことあるんだよ、
今まですごく役立ったんだから。
やめちゃうワケ!?
切っちゃうワケ!?
それって危険じゃね!?

そうやって、
新しい選択、新しい衝動や望むことに、
ストップをかけるのだ。

気持ちはイヤイヤなのに、
頭じゃイケイケで、
葛藤したことがよくあった。



けれど、本当は、
それは、価値の放棄ではなく、
出枯らしのお茶っぱを捨てるようなもの。
つまり、もう必要なくなったものを、
手放すこと。

かつて価値のあったものだけど、
今の自分にとっては、
さして重要ではない、
そんなものを、
自分から外していく作業。

肝心なのは、
今の自分にとってはすでに重要でないものを、
そうであるのだと認めること。

それが、なかなかできなくて、
長いことぐずぐぐしてたんだけどね ( ̄▽ ̄)

ぐずぐずすればするほど、
それは、まるで、
子泣き爺(こなきじじい)のように、
ずっしりと重くなり、肩に食い込む。

そうなって初めて、
あ、これ、いらね、と気付く(爆)

さんざんそれをやってきたから、
もう何年もね、
やっと、今の自分にとっては重要でなくなった、
かつて重要だったものに、
ひとつずつさよならしているんだと思う、今。



息を吐き切った後、
自然に息を吸い込む、
深く酸素が入ってくるあの心地よい呼吸、
あんな感じの生き方が、
できたらいいなぁ、と思う。

無意識にしてきた苦しい呼吸を、
意識的に深い心地よい呼吸に変えたように、
無意識にしてきた生き方を、
意識的に望む心地よい生き方に変える、
それが今私がいちばんしたいこと。

そして、その意識的に望む心地よい生き方が、
そのうち自然な、
無意識のうちにする生き方になる。
自分のスターンダードになる。
そんなのがいい。

その結果、
湧いてくる衝動や、
訪れる何かによって導かれる先にあるものに、
私は辿り着きたい。




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