廊下を歩いていたら
小さな黒い糸くずが落ちていた。

いつもなら、知らんぷりするんだけど、
その時は、そんな気になり、
しゃがんで拾った。

私の手には小さな糸くず。

ゴミ箱までは遠くて、
部屋を移動してまで、
こんな小さなゴミを捨てるのは、
実にめんどうくさい。

その辺にポイッてすることもできたんだけど、
別の部屋のゴミ箱まで歩いていって、
糸くずを捨てた。



戻ってきて廊下を眺めた。
もうゴミはなく、ピカピカの廊下。

なんだ、なんだ、
この凛とした清々しい感じ…?

これがていねいに生きるってことか、
ふと、そう思った。

ゴミをちゃんと捨てた、
ということとは別の何かが、
そこにはあった。



今まで色々なことをやる時、
「ちゃんと」やろうとしてた。

もちろん、
サボる時だっていっぱいあるけど(笑)
やるときは「ちゃんと」やろうとしていた。

ちゃんとご飯を作ろう、
ちゃんと掃除をしよう、
ちゃんと洗濯をしよう、
ちゃんと仕事をしよう、
ちゃんと、ちゃんと、って。

それって義務だったなぁ、って気付いた。

せいぜい、

「はぁ、やっと終わったよ」

そう感じるくらいだろう。
過ぎていく雑事のひとつになるだろう。

でも、それをていねいにやったら、
糸くずを拾った後みたいに、
清々しい気持ちになるんじゃないだろうか、
そう思った。



じゃあ、ていねいにやるって、
どういうことかと言うと、

はいっ、私がやります!
楽しいです!
頑張ります!
なんてのも違う。

心を込めて、感謝を込めて、
いたします!
なんてのも違う。

そんな気がする。

廊下の糸くずを拾って思った。

「ただやる」ってこと。
今この瞬間、ただそれをやるってこと。
その行為そのものになるということ。

糸くずがある、拾う、ただそれだけ。
何かをただする、ただそれだけ。

なんとなくするんじゃない。
その行為に意識を向ける。



うーん、うまく説明できない(笑)



たとえば、雨が降っている、傘をさす、
そんな感じ。

それを、

「ああ、傘ささなきゃなんない」

とか、

「まあ、雨だわ、ええ、傘さしますとも!」

とか、そんなんじゃなく、
ただ傘をさす。
雨です、傘をさします、そんな感じ。

ひとつひとつの行為をただ行う。
けれど、なんとなくじゃない。
意識を向けて行う。



OSHOトランスフォーメーションタロットに、
こんなカードがある。


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8. 瞑想

あらゆるものに注意を向けましょう。
「大きい」、「小さい」はありません。
すべてに神性があります。
あらゆるところにあなたは神を見出すことができるのです。

ある期間修行してきた弟子が一休に会いにきた。
雨が降っていたので、
中に入るときに彼は履物と傘を外に置いた。
彼が挨拶をし終えると、
一休は履物のどちら側に傘を置いたのかとたずねた。

さあ、なんという問だろう……?

あなたは、マスターが神について、
クンダリーニの上昇、チャクラの開き具合、
あなたの頭のなかで起こっている
光についてたずねるのを期待する! 

だが、一休はごくありふれた問いをたずねた。
履物と傘がスピリチュアリティと
どのような関わりがあるのだろう?

だが、そのなかには途方もなく価値のあるなにかがある。
その問いには意味がある。

その弟子は思い出せなかった。
自分の履物をどこに置き、
傘をどちら側に置いたか、
誰が気にするだろう?

だが、それで充分だった。

その弟子は拒絶された。
一休は言った。

「そうであれば、行ってさらに七年間瞑想するがいい」

「七年!」

その弟子は言った。

「このささいな落ち度のために?」

「落ち度に大小はない」

一休は言った。

「お前はまだ瞑想的に生きていない。
 ただそれだけだ」

これはささいなことで、
あれは非常にスピリチュアルなことだと、
ものごとの間に違いを設けてはいけない。

注意を向けるがいい。
気をつけるがいい。
そうすればあらゆることがスピリチュアルになる。
もし注意を向けなかったら、
気をつけなかったら、
あらゆることが非スピリチュアルになる。

スピリチュアリティは
あなたによって分け与えられるもの、
それは世界へのあなたの贈り物だ。
一休のようなマスターが自分の傘に触れると、
その傘は、あらゆるものが
そうでありうるのと同じように神性を得る。

瞑想的なエネルギーは錬金術的だ。
それはより低い金属を
より高い金属に変容しつづける。

シンフォニーを指揮しているかのように
オレンジの皮をむきなさい。
そうすれば、あなたはもっともっと近づく。

瞑想的になればなるほど、
それだけあなたは神を
あらゆるところに見るようになる。
究極ピークではあらゆるもんが神性を得る。

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このカードが昔から大好きだった。
よくわからないけれど、大好きだった。

そして、廊下の糸くずを拾った時、
このカードを思い出して、

「あ、これだ…!」

となったのだ。



どんなこともそう。

ある情報を自分にインプットする時、
それが文字や言葉としてのみ
自分に入ってくることがある。

単語やセンテンスの意味は理解していても、
全体の意味がよくわからないのだ。
そんな中途半端なまま、
どこか隅っこの方にしまっておく。

そして、あとから、
別の情報が入ってきたり、
何かの体験に基づいた
感覚や感情が生まれたりすると、

わからないまま
自分の中に保存されたいた情報が、
それらに出会って、
いきなり、ポン!って開くって言うか、
かかってたロックが解除される感じで、

「あれってこういうことか!」

ってなることがよくある。
それが、私がいつも言う、

「今わからないことは、
 後でわかること」

なんだ。



廊下の糸くずもそうだった。
このカードの意味がやっとわかった瞬間だった。
初めてこのカードを読んだのは、
恐らくもう10年近く前だろう(笑)



毎日をていねいに生きよう、
そう思った。

行為のすべてを完璧にていねいに、
なんざぁ思っちゃいない(笑)
誰でも最初は初心者だ(爆)

ひとつ、ひとつ、ていねいにやることを、
増やしていこう。

その心地よさは、きっと、
その先へ、先へといざなってくれるだろう。
初心者を(笑)



まずは、これから、
ていねいに買い物にいってきまーす(笑)