前回の記事からの続きです。



あんな傷、こんな傷
ほじくればほじくるほど出てくる傷
トラウマのアリ地獄のように感じた。
きっと、やればやっただけ
死ぬまで出てくるのだろう
そう思った。

ぶっちゃけ

「そんなのもうイヤだ、もういい」

ヒプノセラピーを提供しながら
そう思った私。

けれど、それを認めてしまうと
自分が築き上げてきたものを
否定することになる。
失業(笑)することにもなる。

今までやってきたことを
もうやりたくない
切実なその思いを
当時の私はごまかしながら
生きるしかなかった。



で、それからどうしたかって?

いや
どうもしなかった(笑)

どうもしないで、ただ流れの中にいた。

手放したい今までの自分に
違和感を感じながらも
しがみついていた。

まさに、湧いてくる想いと
安心安全を求める思考のはざまで
揺れていたのだった。

ほれ、手放しちゃったら
食えなくなっちゃうからさ(爆)
それさえも幻想なんだけどね 。



自分の中に
今までのやり方への抵抗が生まれると
まんま現実に反映して
セッションが減り
私は生活のために
パートや短期の仕事をした。

色々やった。
製菓工場
サーフショップの店員(サーファーじゃない・笑)
ポスティング
ゆうパックの配達(きつ過ぎて激やせ・ばんざーい)
郵便局のゆうゆう窓口…

すべてが完璧だった。
その時は「不遇」のまっただ中にいるような
そんな気がしていたけれど
本当にすべてが完璧だった。

そんな仕事をしたからこそ
私は自分に必要なものを得ていった。
それは常に感じていた。

だからこそ
不遇の中にいるように感じる日々でも
人生への信頼を失うことなく
生きていられたのだと思う。

金銭的にシビアな状態であれ
自分はイヤだと思うことを
イヤイヤすることはもうやめるんだ、と
改めて強く選択する機会でもあった。

だから
趣味から始まったホームページ制作を
仕事として本格始動させた。

本当にありがたいことに
それが生活を支える収入になっていった。
そのための勉強もした。
独学だけど、かなりマジでやった。
でも、好きだったから
全然苦じゃなかった。

むしろ楽しかった
遊んでるみたいで(笑)



一見「不遇」と思えるような毎日
けれど、そのすべての瞬間が
私に大切なものを与え続けてくれた。

「一体いつまで癒し続ければいいの?」

私の中に生まれたその疑問は
私を苦しい人生から救い上げてくれた
癒しから離れてゆく
そんな苦渋の選択を私に迫った。

今思えば、それは
癒しから離れるのではなく
癒しのその先へと進むことを
意味していた。

癒しは必要。

けれど、その先がある。
どちらも必要なのだ。

癒しだけを追求していると
し続けていると

自分を救うための癒しのはずなのに
逆に、その癒しが
自分を過去の痛みを強化するという
パラドックスに陥ることが
あるのを感じている。

何度も言うけれど
癒しは大切で必要だ。

要は、質のよい癒しを
必要なだけ体験し
その先に進んでいくことも
また必要だということ。

私は、今度は癒しだけでなく
その先のもっと違うこともすることを
魂で望み始めていたんだろう。

けれど
その「もっと違うこと」が
わからなかった。

そして
その「もっと違うこと」に出会うために
さまようような数年を過ごしたと
今は確信している。

やがて、ある時期から
そこを抜け始めた。



そして
私は、満を持して(おおげさ)
新しい感じで動き始める。

ようやく見えてきた。
自分がしたいこと。

ホームページを
リニューアルしてるんだけど
人のホームページを作るのが
先になってしまって
なかなか進まんが…

これからは
私がさまよった数年の体験
そこで得たものを通して
つかんだものをたずさえ
ご縁ある方とお会いしていきます。

それに伴い
名前を変えます。
いや、戻します。

今は「えみや」と名乗ってるけれど
かつてずっと使っていた名前
「エイミー(amy)」に戻します。



さて、行きます。
もうそろそろお目覚めの時間だし
みんなが集合意識でつながって
目指すところはひとつ。



んんん…
なんかまとまってないような
気がするけれど、
アップしてしまおう。