父が亡くなり、
通夜、告別式とこなしていく中で、

一般的には
不謹慎であると言われる笑い、

おかしいから
笑うということを、

私達家族は何度も体験した。



そして、感じたのは、
悲しみがそこにあるように、
笑いも楽しみもそこにある、
どちらもただそこにある、
ということ。

そして、
人は瞬間瞬間を
生きているのだと思った。

突き上げるような
悲しみの1秒後に、
こらえきらない笑いや
愉快なことがある。

それが自然なことだと思った。

悲しいから
笑えないのではなく、

笑っているから
悲しくないのではなく、

どちらもただそこにあった。
そして、そのどちらをも味わった。



通夜の夜、
お線香を絶やさないために、
私とabuとアンナは斎場に残った。

深夜、
アンナと新しいお線香を
焚きに行った。

棺を覗き込みながら、
じーちゃん、お線香焚くよー、って。

その時、
お坊さんが読経の際鳴らす、
大きなちーんがあった。

なんて名前だか
わからないんだけど、
昔はそこによく
木魚があったように思う。

私はどうしても
それを鳴らしてみたくて、

大きな棒を持って、
ちーんと鳴らした。
ちーんと言うか、ごわーん、って感じ。

面白くて
何度も何度も鳴らした。

読経の真似をして、
ごわーん、ごわーん、って。
アンナはそんな私を見て
大笑いした。

そして、
はっとして私を制した。

「ママ!
 監視カメラがあるよ、
 全部映ってるよ!」

くるっと振り返ると、
祭壇の真正面に
監視カメラが取り付けられており、
こっちを向いていた。

私とアンナは、
ぎゃははは!と笑いながら、
親族の控え室まで走って逃げた。

戻ってabuに話して3人で笑った。

そうやっている私達は、
その瞬間、
本当に愉快だったし、
心から笑っていた。

そんな自分達が、
なんだかうれしかった。

無理して明るく
振る舞っているのではない。

本当におかしくて笑ったのだった。



親族の死にあたり、
それではいけない、
喪に服して神妙な面持ちで、
静かにしていなければならない、

そんな観念が
どこかにあったように思う。

けれど、
実際に自分が親のが亡くなり、
思った。

近い人の死に祭しても、
そこには普段と同じく、
色々な感情が存在し、
悲しみはたまたま大きいけれど、
いつも通りでいていいんだと、
そう思った。

その時その時感じるものを
ただ感じていていいんだ、と。



もちろん、
不謹慎に映らないようにと、
人前でげらげら
笑うようなことは避けた。

だけど、
私達は本当によく笑った。

私と母とabuとアンナで。
その時、いつも一緒に父がいた。
笑いにはいつも父が介在していた。



そして、介在する父は、

亡くなった人ではなく、
遠い昔、私を罵倒し木刀で
めった打ちした人ではなく、

倒れた母の顔を
何度も蹴って踏みつけた人ではなく、

病床で顔を歪める人ではなく、

今ここで私達を
笑顔にする人だった。

笑いは光の渦となり、
まさに "ディワリ" の中にいた。
私達はすでに新しい父と共にいた。
死が誕生だった。

あのカードの言葉を思い出した。

笑うきっかけは、
いつも、くだらない、
どうでもいいようなこと。

けれど、
その笑いが心からの笑いであり、
そこには父がいる、
それを強く感じる。

笑うことで、
それまで近づけなかった
父のそばに寄れたような、
そんな気がする。

父が生きて施設にいる時よりも、
亡くなった今、
父はより身近な、共
にいて心地よい人として存在する。



父の映ったビデオが
1本だけ残っている。

会社の忘年会で、
かつらかぶって、
こてこてのおかまメイクして、
着物着て女装して、

梅沢富美男の「夢芝居」で踊り狂い、
客席に向かって投げキッス。

会場が爆笑の渦。

私はそのビデオの中の父が好きだ。

家で般若のような
顔をして怒鳴ったり、

暴力を振るったりする父より、

うんと好きだ。

ビデオの中の父は、
本当はずっと存在していたけれど、
私が出会えなかった父なのだと思う。
そして、会いたかった父。

今、私はそんな父と一緒にいる。



「それは死ではなかった。
 それは新しい生、復活だった。
 あらゆる死が新しい扉を開く」



余談になるけれど、
喪中にも関わらず、
私のツボに入った出来事をいくつか、
次のブログで紹介します。

くっだらないんだけどね(笑)



つづく。