28日朝方、
父が息を引き取った。

たくさんの人に
支えられ、助けられ、

29日通夜と
30日告別式を無事終え、
骨になった父が家に帰ってきた。

色々なことがあった。
そして、色々なことを感じた。



書くというのは
本当に不思議な作業だ。

書いているうちに
自分でも気づかなかった
自分の奥にあるものに気づいたり、

それを言葉にすることによって
さらに自分の中が明確になったり、

書いているうちに、
自分の中のどろどろを、
最終的にアウトプットしたい形に
変えることができたり、

自分で考えてもいないことが
するすると浮かんできて
ほぼ無思考で
キーボードを叩いていたり、

その無思考の中で
生まれた言葉が
自分へのメッセージだったり。

とにかく、
私にとって書くということは、
おおげさかもしれなけれど、
生きるということかもしれない。

好きなのだよね、書くことが。



2002年からウェブで
「おひさまの日記」を書き続けてきた。
時に場所や名前を変えつつも。

それは時に
マスターベーションの
ようなものでもあるのだけれど。

おひさまは私にとって
なくてはならない場所。

そんな場所で、
父の死を通して起こったことや
感じたことを書きながら、
私はまた自分を見つめていく。



父の死で受け取った贈り物は
いっぱいあって、

今の時点では
まだ気づいていない贈り物も
きっといっぱいあって、
私はそれを受け取るために
きっと書くのだと思う。

父も書くことが好きだったなぁ。
遺伝なのだろうか。



私は痛くて泣いた。
悲しくて、つらくて、さびしくて、
悔しくて、ふがいなくて、
泣いた。

けれど、
それは父が亡くなったからではなく、

父が亡くなったことによって
あぶり出された感情だった。

そんなものを感じていくうちに、
私は父が亡くなった純粋な悲しみに
辿り着くのだろう。

人の死には贈り物がいっぱい。
父の置き土産をひとつひとつ眺めて、
感じて、昇華させていこう。



ばいばい、お父さん。



私、あなたの娘に
生まれてよかった。

色々あったけど、
それでもそう思うよ。



いつもおひさまを
読んでくださっているみなさん、
本当に、本当に、ありがとうございます。
とっても嬉しいんだよ。