仕事の打ち合わせから帰ると
どんより曇った朝とは
うってかわって
おひさまが元気な
青い空になっていた。

朝、慌ただしくして
庭の花や木に
水をやるのを忘れていたのを
乾いた土の色を見て思い出した。

かつて母が営んでいた
そば屋の建物は
半ば物置となっている。

その元そば屋では
観葉植物とプチトマトが
密林ジャングルを作っている。

密林ジャングルも
カラカラだった。



庭に水をまき
ホースを引きずりながら
事務所の中に入ると

一夏で大きな茂みとなった
プチトマトの葉っぱが
くたんとしていた。

くたんとしながら
最後の力を振り絞るように
あちこちに
赤い小さなトマトをつけていた。

わぁ…

もうトマトの季節も終わり。
なる実も小さい。

けれど、元気よく真っ赤。
こんなにたくさん
赤くなるまで
気づかなかったんだな。

毎日水をやってるのに。

それだけプチトマトに
心を配ってなかったんだと思った。

義務で水を
やってたんだなぁ…と気づいた。

「ごめんね
 喉乾いちゃったね」

そうトマトの木に
言いながら水をかけた。

せっかく実を付けてくれてるんだ
アンナの運動会のお弁当には
この子達を入れよう
そう思った。



手元に入れ物がなかったので
誰も見てやしない
スカートを前に
ひっぱってくるんとめくり
そこにトマトを摘んで
入れていった。

摘んでも摘んでもまだある。
あっちにもこっちにも。

夢中になって摘んだ。

ずっしりと重くなって
スカートが沈む。

いつまでも赤い
プチトマトを探して摘んだ。

プランターはふたつあり
枝は天井に届くほどに伸びて
重みでしだれているので
とにかくたくさんのトマトが
あちこちにあるのだ。

トマトを摘みながら
奥底から湧き上がってくる
穏やかであたたかいキモチ。

ああ、幸せだなぁ、そう思った。
なんて幸せなんだろう、って。

トマトを
摘んでるだけなのにね
今この瞬間
すべてがここにあると感じた。

不思議な感覚。
言葉にならない感覚。

私は完全に満たされていた。
うれしくてやさしくてあったかくて。
幸せで泣きそうだった。

なぜそんな気持ちに
なったのかなんて
説明できやしない。



植物を育てるのが
大の苦手の私。

でも、どうしても
プチトマトが欲しくて
あぶにおねだりして
買ってもらった。

プランターに植えるのも
肥料をあげるのも
添え木をしてやるのも
みんなあぶだった。

私は慣れない手つきで
水をやるだけ。

でも
すくすぐ育つトマトが
そして、そのトマトを
家族で食べるのが
本当にうれしかった。

慌ただしさに流されて
そんな大切な気持ち
すっかり忘れていた。



思わず
トマトの木に言った。

「こんなに
 実をつけてくれて
 ありがとう」

アンナのお弁当に入れるよ
残りはみんなで食べるよ、って。



摘んだトマトを
洗って口に入れた。

夏の終わりの味がした。

甘くてちょっとすっぱい。
おいしい。
命の味。

涙が流れた。

心を向けるだけで
自分の周りには、こんなにも
愛を与えてくれるものが
あることに気づく。

口をきけない植物も、動物も
そして、物でさえも。

私はなんて
完全なまぁるい世界に
生きているんだろう。

そして、親も、家族も
みんなみんな
愛を与えてくれている。

形として与えられてきたものは
いびつだったかもしれない。

仕打ちと呼びたいような
ものだったかもしれない。

けれど
その奥に目を向ける時
そこには愛がある。
愛しかない。



目に見えるものは
目に見えるままのものではなかった。
私は本当のことを見ていなかった。



それがわかるようになったのは
それがわからずに
悲しみと寂しさと
苦しみと怒りと憎しみに
まみれていた時期があったから。

決して許すもんかと
こぶしを握りしめていた
時期があったから。

そして
そういう時期は
あって然りの時間であり
私にとって尊いものだった。

私が生まれ落ちてから
今この瞬間まで

どの体験が欠けても、
どの瞬間が欠けても、
今の私はいないに違いない。

今の私になるために
すべてが必要だった。

人生はなんて美しいんだろう。



きっと、トマト達は
最後の力を振り絞って
実をつけながら

心を向けた私につながって
大切なことを言葉なく
語りかけてきたに違いない。

だから涙が
止まらないんだろう。

キッチンの椅子に座って
えっ、えっ、と
しゃくり上げながら
食べるトマトは

今まで食べたトマトの中で
いちばんおいしいトマトだった。



いつもこうして
神様からの
素晴らしい贈り物を
受け取っている。

ありがとう。