こういう人になりたい
そう思う人がいる。

彼女はタイ人。
24歳の時日本に来て
今年で26年、50歳。

日本人のご主人とふたり
道端でほったて小屋の
野菜直売所を営んでいる。

気まぐれで変えた
散歩コースの道の
途中で見つけたそのお店
その日から私は常連になった。

新鮮な野菜は農薬を使わず
手で虫を取ったりと
手間ひまかけて育てられたもの。

とにかく
そこの野菜は本当においしいの。
食にこれと言ったこ
だわりのない私だったけれど

ここの野菜を食べて
初めて野菜って
おいしいんだ、と感じた。

おいしくて
うれしくて
幸せな野菜。

家族で食卓を囲みながら
みんなで感嘆の声をもらす。

そこの野菜を
食べるようになって
我が家の食卓に
会話と笑顔が増えた。



無農薬だから
手間ひまかけて育てるから
だからおいしい
いや、それだけじゃ
ないような気がする。

その店の
ふたりの存在がかけた
魔法のせいじゃないかと
マジで思ってる。

普段、よくお店にいるのは奥さん。

タイの名前を
日本語で発音すると「さっちゃん」
それが名字なのだそうだ。



顔を出すと

「こんにちは、いらっしゃーい」

とびきりの笑顔と元気な声。

私は野菜を買うだけじゃなく
さっちゃんに会うために
野菜直売所に通う。

彼女と会うと元気になる。
気持ちがぱっとしない時も、
さっちゃんの笑顔を見ると、
そんなの吹き飛んでしまう。

気づくと一緒に
バカ話してゲラゲラ笑ってる。

そして
元気になって帰ってくる。

本当に不思議な人なの。

え、自分に何が起こったの?
って思うほど

会うことで素敵な方向に
シフトしてしまう。

帰り道、人が見たら
気味悪がるだろうと思うほど
いつも私はにこにこしてる。



頭ではわかっていても
人と自分を比べて焦ったり

それゆえに
自分ではない何者かに
なろうとして
余計に苦しくなったり
することってある。

けれど
彼女は背中で教えてくれた。

人がただそこに
在るということの
素晴らしさを。

存在そのものの美しさを。



何かに秀でたり
何か特別なことが
できたりすることも
もちろん素晴らしいけれど

ただ普通に
そこにいることだって
同じように
素晴らしいということを。

それは
普通じゃないってことを。



さっちゃんはいつもそこにいる。
さっちゃんとして。



成功哲学を語るわけでもなく
セラピーやヒーリングをするわけでもなく
いわゆるいい話を聞かせるわけでもなく
彼女は彼女として日々の中にいる。

自分を生きている、精一杯。

そして美しい。
存在が輝いている。

そこにいるだけで人
を幸せにする。

彼女を思うとなぜか
目の奥がじゅわーんとする。

それはまるで魔法。
泣けちゃうくらい素敵な人。

さっちゃんと知り合って
私は思った。
これだ、って。

私も私になろう。
彼女が彼女であるように。

こんにちはー
って手を振るだけで
会った人が幸せになる、いいねぇ。

それほどのものが
存在から匂い立つ、素晴らしい。

そして、実はそんな人こそ
これみよがしに
見せはしないものの
素晴らしいものを
たくさん持っている。



ずっとお店に通って
おしゃべりをするうちに

彼女は少しずつ
自分のことを
話してくれるようになった。

50年の間に
刻んできた道のりのこと、色々。

彼女が彼女になったことを。

いつも肩に白い文鳥を乗せて、
野菜直売所にさっちゃんはいる。
私は会いに行くのだ。
あの笑顔に。