昨日は、
算命学のマスターコースのレッスンで、
とある著名な方の命式を拝借して、
四方八方から?
宿命の読み解きをしたのだけど・・・
陽占と陰占、
それぞれからわかることを、
大運や年運などの後天運と合わせて
多面的にみていくと、
「その人」が、より立体的に浮かび上がってくる。
いろんなことを、思いましたよ・・うん・・。
まあでも、そもそも、
人は、多面的で立体的ですもんね。
こちらは先日訪れた若葉の太宰府天満宮。奥行きが趣・・♡
ひとつの問いに対して、
ひとつの答えはない。
たとえば、
「算命学でみると、私、金運いい人ですか?」
みたいな質問があったとしたら、
ある側面から見たら、
財にはすごく縁のある人であることが言えても、
ある側面から見ると、
財を得ると、ロクでもないことになる人もいれば、
財が来ても、さっぱり受け取れないと言える人もいて、
それは、
「金運がいい人」と言えるのか・・?
っていう話になるわけなので。
そもそも「金運がいい」の概念から擦り合わせないとならなくなる・・^^;
運がいいとか悪いとかも、
ただただ、
そこだけを、近視眼的にみていると、
良かったね、残念だったね・・って、話だけど、
実は、そこにも、
複雑な構造が存在していて、
本人にとって、
一見「良い」と思われることが、
実は、本人の宿命の無意識の部分との融合で、
「悪い」に傾くことだってあるし、
意識的にわかる部分においては、
本人が、それをどう捉えて、
その後どう生きたか・・によって、
運命は変わっていく。
だから、本当に
運が良かったか・悪かったのかは、
実は、
ずっと後になってみないと
わからない。
なんちゅー不運・・と思われることだって、
それまでの停滞から抜け出す、
きっかけになったりすることだってあるし、
突然のラッキーが、
運命の歯車が狂い出す始まりに
なる場合だってあるということ。
いや、もちろん、
絶好のチャンス!みたいな
そういう波がやってきたら、
必ず乗るべきなのです。
それは「自然」なことだから。
でも、
やったー!運気上昇!イエーい!
だけで突き進むのは、危うい。
そこはやっぱり、
「自分」というものが、
どのくらいの器で、
どれくらいの力量なのか?・・を
知っておく必要があるのでしょう。
ちょっと、
意味不明な記事になっちゃったけど、
今言えることは、そんな感じ。
とにかく、
人は、一人一人違う。
自分を知って、自分らしく生きることに
真摯な自分でありたいものです。