1月2日に東京から静岡に移動日
そうだ!
「箱根駅伝」
往路の日ではないですか?
というわけで
東名道路を避けて、中央道で帰りました
これが本当に久しぶりで
すごい懐かしかった🎶
小仏トンネル
笹子トンネル
関東に住んでいる時は家族で
山梨にぶどう狩りで中央道を使って
いましたが、関西に転勤してからは
使うことがなくなっていて
本題・恵林寺へ
途中大月から新東名に抜けようと
思っていたけれど
主人から
「どうする?」
中央道を下って甲府まで行きました
久しぶり〜
「恵林寺」
乾徳山 恵林寺
甲州市塩山にあるお寺です
駐車場を目掛けていってしまったので
ゆっくりみられなかった
「四脚門」
赤い門の四脚門
恵林寺に多くある建造物の中で
古い時代のもの、唯一の遺構
とは言ってもこの赤門も
織田信長による焼き討ちの後、
徳川家康によって1606年に再建された
当時のもので、重要文化財に指定
パンフレットより
恵林寺は臨済宗妙心寺派の名刹
元徳2年(1330)に甲斐牧ノ庄の
地頭職をつとめていた
二階堂出羽守貞藤
(道号は道蘊)が、夢窓国師を招き
自邸を禅院とし創建しました
👆奥の庭の
二階堂道蘊の供養塔
武田信玄の尊敬を受けた美濃(崇福寺)から
快川紹喜和尚を迎えて、永禄7年(1564)には
信玄自ら自領を寄進し、当山を菩提寺と定め
ました
天正4年(1576)
遺言通り3年間の秘喪の後、武田勝頼は
快川を大導師のもと、信玄の盛大な
葬儀を厳修しました
天正10年(1582)3月、
勝頼は天目山で自刃、甲斐武田氏は滅亡
同4月3日、
恵林寺は織田信長の焼き討ちにあい
快川国師は
「安禅必ずしも山水を須いず、
心頭滅却すれば火も自ら涼し」
と言葉を残し、百人以上とも言われる
僧侶等とともに火に包まれました
歴史をみながら新たに
発見もありますよね
快川和尚は美濃国の出身で
俗姓は土岐氏だったそうです
(別説もある)
美濃崇福寺から快川を迎えた
と書いてありましたが
その頃に織田信長は美濃攻略を進めて
いて羽柴秀吉が斉藤龍興の家臣たちを
織田方へと引き入れる工作などをして
完全に美濃を平定する前段階だった
ようです
また、織田信長は武田信玄へと
手紙などをおくっているようなので
何かありますよね
うふふふ![]()
面白いなぁ
こんなことを調べていると
1日があっと言う間にすぎちゃいます
京都のお庭を拝見しているようで
とても素敵でした
京都はたくさんの人がいてゆっくりみられ
ないですからね
👇この先からは写真が撮れないのですが
この先は鳴らさないように歩いても
音が鳴ってしまう廊下
「うぐいす廊下」
あります
庭でも小鳥の声が聞こえますが
廊下でも小鳥が鳴いているのかと思うくらい
可愛い音(鳴き声)がして
びっくりしました
その突き当たりの右側には
生前の武田信玄の姿を写したと
伝えられる武田不動尊が
ありました
不動尊(不動明王)を目の前にして
伊達政宗が梵天丸と言われていた時に
その不動明王を前にして
かの大河ドラマでの一言
「梵天丸もかくありたい」と
不動明王のように
「外(敵)には厳しく
内(領民)には慈悲深くありたい」
という
ことで言ったことを
思いだしました。
その虎哉宗乙禅師は
快川国師の弟子の1人だったのですね
突き当たってから帰ろうとすると
「冥歩禅」
を通って次への
庭園にいきました
「冥歩禅」とは
真っ暗な闇の中を歩くんです
まぁ、ちゃんと壁を触っていけば
導かれて外へ出られるにしても
やはり闇は怖い😱です😆
修行が足りません![]()
続く
















































































