この御城印は藍で染められた和紙で
金色の文字で書かれています
この勝瑞がある藍住町の書家の方が
書いたそうです
近くの「武田石油」さんで頒布していました
この勝瑞城あたりは藍住町と言って
「藍」染めしたものが特産品の一つで
「阿波藍」は有名であって
このあたりは井隈郷(いのくまごう)と
呼ばれていて井隈荘という荘園でした
源頼朝が鎌倉に幕府が開かれてからは
源頼朝に従った近江の佐々木経高が
阿波国の守護になりました
「鎌倉殿の13人」では歯が抜けた
佐々木秀義がでてきて笑ってしまいましたが
その秀義の次男になります
「承久の乱」では後鳥羽上皇側に経高は
ついたため、
敗れて佐々木氏(経高系統)から
信濃の小笠原長房が阿波国の守護と
なりました
※源新羅三郎義光を祖とする小笠原氏
その後
足利尊氏により鎌倉幕府は倒幕
されると
足利家重臣の細川頼之が管領と
なり四国をおさめていました
その一つ阿波国は細川頼之の
弟細川詮春が
阿波を担っていたとのことでした
細川清氏は足利二代将軍義詮に逆らって
京からも近い細川家の基盤の
一つでもある阿波に逃れたので
四国を守っていた頼之は清氏を討伐の任を
受けて討ち取りました
その戦さの勝利を祝って
この辺りを「勝瑞」と名付けたと
も言われています
以来阿波細川氏
守護として代々阿波国をおさめますが
その後京にも近いこともあり
「応仁の乱」に巻き込まれてその当時
守護の細川成氏や家来の三好之長が
管領細川勝元の率いる東軍にくみしました
長引く乱により室町幕府や管領の力は
弱り、結局戦の中心として戦う
三好氏が力を持つようになって行った
と言われています







