ここ最近で
何回「岡山城」に行ったかな?
とても好きなお城の一つなので
何回行っても感動しています。
☝️の写真は主人に立ってもらって
鏡石の大きさを比較してもらっているので、
消してません。
今回は iPhoneを「16」にして
画像の加工・クリーンアップができるようになったので
人を消してみました。
今まで顔をハートで消していたりしていたので
大変だったけれど、すごく便利になりましたよ。
やっとiPhoneでもできるようになったのですね。
ちなみに今までは「13」でした。
因みに👇
リニューアルする前の岡山城は
こんな感じだったのを思い出して
写真を探してみました。
今回の岡山城でのミッションは「宇喜多家」についての
話しなので4階の「岡山 戦国の表舞台へ」
〜宇喜多直家と秀家〜
宇喜多能家
「備前軍期」では宇喜多直家の祖父・能家が
智勇兼備の武将であったこと、
宇喜多氏が百済の王族で、児島に渡来し、三宅を
名乗ったとの伝承を配しています。
宇喜多の旗印の「兒」は、児島に由来するが
宇喜多秀家のの時代には旗印に使われず、
唐太鼓の紋様が使われています。
宇喜多秀家の母
円融院
生没年ははっきりしていないらしいけれど、
没年の方がまだよくわからないものの、
生年は天文18年(1549年)頃ではないかということです。
ドラマで「愛に燃える戦国の女」というのを
再放送した時にみたのですが、
三田佳子さんがこの円融院(おふく)の役をして
初めて知りました。
ストーリーとしては
永禄12年秋、三浦貞勝に嫁いでいたんだけれど、
尼子勢に城を攻められて、侍女と息子の
桃寿丸を連れて城を脱出して、放浪していると
宇喜多直家に救われるんですよね。
直家は結局おふくを側室にしてしまうし、
八郎(後の宇喜多秀家を出産)
三浦貞勝の子ども桃寿丸や侍女をも
殺害されてしまうけれど、
直家との子ども八郎(宇喜多秀家)のために
強く生き抜いていくという話しなんですよね、
三浦貞勝は役所広司さん、
宇喜多直家は山城新伍さんだったりして
そんな女性がいるんだなぁと
思ったのを楽しんでみていました。
宇喜多の旗印の一つで上☝️の「兒」がありますが、
「睨」と間違えていて宇喜多直家は「マムシ」
とも、いわれているから「にらみ」だと
思っていたんですよね。
これは「兒島」「児島」「児」だったのですね💦
👇これは