勝幡駅北口です
駅前には
なんと…
さすが信長(吉法師)の生誕地と言われて
いるだけありますね
信秀と土田(どた)御前ですね。
信長は三男ですがこんなこともあったの
でしょうかね(笑)
土田御前は次男の方を可愛がったと言われて
いますが、
これは土田御前だけではなく、
あるあるな話しだったのかな?
三男だけれど正室の長子だったから
すぐに離されてしまったのかな?
乳母は
↑は
安土駅の信長です。
勝幡城推定復元模型
勝幡城推定復元模型が駅前にあります。
天守閣はまだこの時代はないので
堀を持った館という感じです。
勝幡城は堀のように見えるのは三宅川で
領内川と合流して「津島」を経由し、
木曽川につながっていたと考えられています。
交通路の視点から見ると、
桑名↔︎津島↔︎萱津に至る東西の経路、
三宅川などの河川を利用した南北の
経路が交わる場所になります。
また、津島は人・物・情報などが集まる
湊として経済的に繁栄していたそうです。
織田信長の祖父にあたる信定が
築城とされていますが、
その石碑もあるということで探していましたが、
車が停めておかずにいたので
見つけられませんでした。
その石碑には
「織田弾正忠平朝臣信定古城蹟」
と書かれているとか、
残念😢
平(たいら)朝臣とありますが、
これも諸説ありますが、
信長は最初は「藤原」と書いている
ともありますね。
今回のお城探訪はこれより「清須城」に
向かいます。