上野上村城 | emitandyのお城、古墳・歴史大好きブログ

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歴史好きで寺社仏閣、行き先々で発見してはブログにup中。

愛知県豊田市上郷町にある


「上野上村城跡」



5月27日に岡崎へ行って帰りに行ってきました。





「榊原康政生誕の地」として
取り上げられています。



上野城は応仁(1467年〜69年)の頃、
戸田弾正左衛門宗光により築城された
とされています。
宗光はその後1475年に渥美半島に
「田原城」を田原城へと移り、
「上野城」には弟戸田家光が入りますが、
松平親忠(松平4代目)に攻め取られてしまいます
※ちなみに家康は9代目です
1493年「第二次・井田野の戦い」では
現在の豊田市各地の
上野城の阿部孫次郎、
挙母城・中城出羽守
伊保城・三宅加賀守
八草城・那須宗左衛門

と言われる豪族4000人の連合郡で
攻めてきますが親忠は勝利をして服属。
この戦の功により
松平六代目信忠の弟桜井信定が
上野上村城主となり、
清貞→家次の居城となっていきました。

1545年家次が当主の時に、松平広忠(家康の父)に背き、討伐するために広忠は戦いにいくが、敗北してしまう。
再び上野城を攻めようとし、迎え撃つために
広畔畷で激突💥
そして家次が敗北…「広畔畷の戦い」

その時の家次連合軍は
松平清定・家次
酒井将監忠尚・忠尚ですが、
その家臣(与力)として
榊原七郎右衛門長政(榊原康政の父)の
名前がでてきます。

1546年酒井将監忠尚が許されて
上野城の城主になりました。

※酒井忠尚は徳川四天王の1人酒井忠次とは
叔父か甥になるのか曖昧だそうですが、
関係があったとされています。

榊原康政は1548年、
上野城下で生まれたとありますが、
この上野城は上村と下村に分かれていて

今回この地、
榊原康政の碑がありますが
厳密にいうと上野城上村ではなく、
上野城下村にあった、「上野会下(えげ)城」
で生まれたとされています。













三河榊原家は

足利義康からつながる足利一門の出身と

あり、仁木氏となり伊勢の榊原に移り住んだ

頃より榊原を名乗るようになりました。

(省略しすぎですみません💦)



松平家の家臣、酒井将監の家臣=陪臣から

家康に仕えるようになって、

やがて徳川四天王の1人として

活躍していくとは、かなりの出世ですが、

豊臣秀吉の出世には到底及ばないので、

埋もれてしまっているのかもしれませんね。



私は主人の転勤で館林に住んでいたことが

あり、その頃は駅で良く榊原康政の銅像を

みていました。


私の印象では滝田栄の「徳川家康」での

榊原康政だったのですが、

今回の俳優は杉野遥亮さんで、

印象がだいぶ変わったので

良かったです。音譜音譜


家康が関東へ移封された時に

館林10万石を与えらました。


先ほども言ったように、榊原家は

先祖である足利家所縁の地を治められる

ようになったということなんですね。


この城跡には上郷区民会館があり

御城印もあるそうですが、

時間外だったのだいただけませんでした。

公民館の裏手には神社もあります。





 家臣の家臣は陪臣