武将印…島左近 | emitandyのお城、古墳・歴史大好きブログ

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歴史好きで寺社仏閣、行き先々で発見してはブログにup中。

「道の駅 かつらぎ」から始まり


奈良ドライブも終わりです。






竜田川は古くからは「平群川」と呼ばれていて

大阪府と奈良県の境の生駒山東麓を源として南に

生駒郡斑鳩で大和川に合流する一級河川。


その平群には「道の駅」があり、

帰りによってみました。


中へ入ると「武将印」なんていうものを発見!!







思わず購入しちゃいました。


主人から


「あれ?買ったの?」


「はい💦」



嶋 清興


通称左近


島左近としか覚えていなかったので

清興というのは初めて知りました。

(👇以下左近と書きます)


諸説出生地があると言われていますが、

大和の平群出身の説が妥当と言われています


嶋氏は奈良県生駒郡平群町周辺の領主で

「椿井城」「西宮城」を本拠地とする

武士団で、室町時代には筒井氏の配下と

なっていました。

順昭が死去した際には

わずか2歳の順慶が跡を継ぎ、

筒井家において、松倉重信を右近、

「右近、左近」として幼い城主を重臣として

盛り立てていたと見られる。

その後、順慶→定次(順慶の甥)→豊臣秀長

→秀保→石田三成


石田三成には三顧の礼を持って迎えられた

と言われていて

治部少(石田三成)には過ぎたるものが

二つあり、島の左近と佐和山の城」


と謳われるほどの逸材だった。


1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いでは

西軍に属し、討死を遂げられますが、

敵将として「誠に身の毛たちて汗の出るなり」

と震え上がらせたという戦いぶりだったことから、

後世数多くの文学作品に取り上げられて

左近の名を高めたことから、


私自身も、

島左近は猛将のイメージがあります。