久しぶりです。
体調を崩していたので、
なかなかブログをアップできずにいました。
気力がやっと出てきたことや、
やはり気分転々には「お城〜」なんて言ったら
近場で公園化されていて、
お魚の買い物もできる
「明石」に行ってきました。
明石といえば「明石城」です。
駅前にあって公園化されていています。
現在は明石公園となっていて老若男女が楽しめて、
城にも登れるという
とても素敵な場所になっていました。
(コロナ禍以前に来たことがありました)
車で連れていってもらい、
そこから、階段昇れるかな?なんて
心配していましたが、
やはりワクワク💕してきて、
あっという間でした。
なかなかこの様に
巽櫓と坤櫓が一緒に見えることが
ないので、この景色は好きです💕
この城にも石に刻印がされていましたが、
明石城では大名というよりも町人が作ったとのことで
各大名の印ではなく、当時の民間の組織で使っていた
印のようです。
「刻印の謎」としてホームページにありました。
左側の方には明石大橋も見えます。
駅と反対側に角の櫓はないのですが、
☝️「艮櫓」跡地
前回、気が付かなかったのですが、
上に塚がありました。
看板には
「人丸塚 弘仁三年(812年)僧・空海が
ここに楊柳寺を建てた
仁和の頃(880年)住職覚証が柿本人麿公の
夢のお告げで人麿公を祀った
明石城築城後が城の守神として祀られた」
とあります。
以前はもっと囲まれていた感じだったかな?
なんて思ったのですが、
この看板には
「明石城 武蔵の庭園」とあります。
剣豪と知られる「宮本武蔵」の作庭と伝わる庭園が
武蔵の地元・播磨国に属する明石の街には複数残って
いるそうです。
宮本武蔵の出生地については諸説あり、
近年は現在の兵庫県高砂市米田であると
されているそうです。
(美作の武蔵の生家にも行ったことがあります
※下記の写真です)
※岡山県美作
明石城主小笠原家に伝わる「清流話」の中に、
初代明石城主小笠原忠政(後に忠真)の命を受けた
宮本武蔵が明石城内に、「樹木屋敷」(御茶屋、
鞠の懸り、築山、泉水、滝などを設けた城主の遊興所。
建物と庭園の総称)
また、武蔵は明石城下の町割り(まちづくりの計画)を
行ったとも言われているそうです。
もっと囲まれていて庭園みたいになっていたというのは
岡山の偕楽園と記憶が間違っているかもしれません💦
庭園部分を歩いていると👆の看板
鞠の懸りとあって、
蹴鞠をする場所を指していて、
植える木の種類と場所が書いてあって、
この木の間で蹴鞠ってするものなんですね。
この日はドライブだけと思っていたのですけれど、
思いがけず道路も混雑していなくって
明石まで来てしまって、青空の下で気分転換が
できました。
ひとまずブログをアップします💦