第39話 「穏やかな1日」
大海の 磯もとどろに 寄する浪
破れて砕けて 裂けて散るかも
源 実朝
いよいよ始まりました
本編楽しみにしていました。
それにしても「のえ」さんもダークですね。
義時も忙しくって帰りが遅くなること多いのだろうし、
たまに早く帰ってきても辛気臭い話しばかりで
退屈なんだろうなって、どんな話をすれば彼女は喜ぶのかな?
りくさんもそうだったけれど、
自分の手で育てるとかって思っていないし、
やっと産まれた男の子でもすぐに
侍女に「はい」渡していた、りくさんと何ら変わりはしないけれど、
りくさんは「京育ちです」っていう感じを崩さなかった。
のえさんは俄か京育ちみたいな感じなのに無理してしまって
いる感じですよね。
義時が知っている八重さんや比奈さんは自分の
手でなるべく育てていたのだろうと思うから、
まさか、まさか…なんでしょうね。
時政は京へ大番役で行ったことがあって、京育ちの女子の
ことをよく知っていただろうし、
義時はそういうこと無しで育っているし今があるからね。
のえさんの野望(京で暮らしたい)を知らない。
泰時は八重さんが亡くなったあとに
比奈さんが良く面倒みてあげたのだろうね。だからのえさんも
同じだと思っているんだろうな。
朝時が下品になるのはのえさんのせいだと思う。
泰時の妻の初に嫌味言われていたけれど、自分のせいだと
思っていなし、育てたとは思っていないし、自分の子どもでは
ないからねっていうのがアリアリでした。
「長澤まさみ」が出演しました
「鎌倉に穏やかな日々が訪れています。
本日は承元2年から建暦元年に至る4年間
この鎌倉で起こるさまざまな出来事を
1日に凝縮してお送りいたします。」
承元2年(1208年)1月に、三好康信の家が火事になってしまっています。
次の月の2月初目頃に実朝は疱瘡を罹患し、生死を彷徨う。
ドラマの中でも
言っていたけれど一時は「善哉」を後継にという話も出たくらいだとか。
幸いに治って、痘痕は残ったけれど回復しての公務に復帰。
三好康信と実朝との和歌のシーンは本当に楽しそうにしていて
藤原定家からの添削をみてショックを受けている康信に肩を
そっと添えられるのは本当に優しいなと思いました。
しかしここのシーンは実朝が康信に火事で大変だったなという
気持ちの部分と、何気なくそっと康信(男子)には肩を触れられるのに、
千世にはできないという対象さを比較するものかな。
実朝が生死を彷徨っている時に後継を善哉にということになったら
幼い善哉を盛り立てるために「尼将軍」になるべく、
政子は「大江広元」から政を学んでいたのですね。
三善康信を慰めるシーン、そして政子と義時のシーンの後に
実朝を中心に評議をしているシーンに切り替わり
備後国大田庄の年貢で口論したということについて
評議しているのですが、
これは承元3年3月の話として吾妻鏡にはあるので、
一年経ったということになります。
義時の一方的なやり方に自信がを無くしてしまって
泰時に「私はいてもいなくっても良いのではないか?」と
「そんなことはありません」と慰める泰時。
実朝は嬉しそうです🤗
実朝は和歌を渡して、和歌で返すようにと要求(返歌)に
困り果てている泰時。
実朝は泰時が好きなんですね。
源仲明が読んで意味を説明してもらうまで、恋の歌というのを
意味取れてないのかな?
恋の歌だとわかった途端に、そのまま返しちゃっていますね。
その時に渡すのが
「大海の 磯もとどろに 寄する浪
破れて砕けて 裂けて散るかも」
を新たに渡しています。
これを返したのは良いけれど、
これをみて泰時はまた考え、机の下にある酒を飲み干していました。
泰時と酒
これからの展開で和田義盛の討伐において二日酔いで失敗談があるための
伏線でしょうか?
実朝にとっては泰時への気持ちも木っ端微塵というところですが
実朝にとって義時からの仕打ちにも向かって行ってもいつも
跳ね除けられてしまっているという意味もあるのかしら。
今回は御所内がどんどんと関東から関西へとシフトしているように
思いました。
のえさんと初が食べているお菓子もそうだし、
義時と広元が飲んでいたお茶も京から来たものだと思いました。
「栄西」とお茶。
二日酔いにも効くと言われているお茶
先日静岡県島田市の島田駅前にあった銅像