徳川家康の祖父である清康は
安城松平家の4代であって、松平の宗家として
三河を統一させていったある意味カリスマ性のある人だった。
その領地を拡大させようとして
信長の父にあたる織田信秀の尾張へと侵攻しようといた矢先に、尾張国春日井森山の陣中において家臣の阿部正豊に暗殺されてしまったんです。(森山崩れとも守山崩れとも云われています)
余談ですが、その謀反者を成敗したのが
植村氏ですがその娘と結婚して産まれたのが
徳川四天王の1人本多忠勝なんですね。
また、三河がバラバラになって松平をまとめることができなくなる中広忠は一時は伊勢まで逃走していたが、岡崎へ帰すのに必死で守って戦死してしまったのが本多忠高の父、忠豊である。
その8年後には広忠も
家臣によって暗殺されていまう。2代続けての
悲劇がおそったのですが、
家康3歳の時の話しなんですよね。
その後におきる家康を守るために色んな戦争があるのだけれど、大事な局面でまた戦死をしてしまう忠高なんです。
なかなか背後に色々とあるので
私にとっても本多忠高と聞くと、
お参りしたくなってしまうんです。
亀🐢がありますね。
この台座に亀は徳川から特別許されたものの
印だそとのことです。