保護者会が終わり、帰宅
息子との大股歩き30分を終えてから、
母へ電話した


今日は、フラワーアレンジメントへ一緒に
行っていた友人が届け物をしてくれたらしい


お礼の電話をかけ、
また一緒にご飯を食べながらお話ししよう
と言われたらしい


 今は出来ないけど、元気になったら…


また始まった


みんなは元気そう
私は病気


昨日の明るい兆しが…
全て元の木阿弥


そう、まただね


母に告げると、
また忘れていた!私ってば!
って


はいはい、期待を裏切りませんね


怒りというよりも失望
まぁ、昔よりも失望もなくなってるかな


分かってないよね…やっぱり
という感じ


希望を持っての"元気になったら"なら良い


母の場合は、
その日が来ないだろうなって思いながら言う
からタチが悪い


それじゃあ、細胞は働いてくれないよ…


元気になってまた皆んなとご飯を食べに行く!
そレグライの気持ちになってくれれば…
いいんだけど…


ある意味、行けない言い訳かな


もう会うこともないでしょう
一緒にご飯を食べることもないでしょう
(母の心の声)


じゃねーんだよ!


友人へは病気のことは知らせない
絶対に言わない
今は疲れで体調不良
その程度の情報


でも、あの母がフラワーアレンジメントへも
行かず、ご飯も食べにいけない…
となると、癌闘病中じゃないか?
と予測はつくだろう


まぁ、あの母のことだから、プライドで
言えないんだろう…
とも予測できるし


向こうへ相当気を遣わせてるだろうね


いっそのこと、断ち切ってくれたら楽なのに


対応がめんどくさいのならそうすれば良いが
そうもいかないものなのか?


そして、その発言の後に更に耳を疑う言葉


 お腹が鬱陶しくて…


いやいやいや
だからー!
それがあなたの細胞が働かなくなる原因!


 ここで踏みとどまってくれててありがとう


そういう謙虚な気持ちはないのか?


鬱陶しいなんて、何様発言だよ!
今のところこんな程度にとどめてくれてて、
なんてありがたいのか…
十二分に幸せじゃないのか…


自分の体に対して鬱陶しいなんて、
絶対に言ってはダメ!!!


感謝感謝
何事にも感謝


そういう気持ちがなくて、
昔が当たり前だなんて思ってたら、
更なる試練が待ち構えているはずだ


私が神様なら、


 こいつわかってねーな
 何様だよ!
 わからせるために、次はこうなってみろ


って痛みも苦しみも倍増させるわ


 どんなことでも受け入れますが、
 まだ今のままでいさせてください


なら、


 そうかそうか、あなたはそんなに懸命なのか
 では、そのままとは言わず、もう少し楽に
 させてあげよう


ってなる気がするんだけど、な


まぁ、
こればっかりはそうなってほしいという願望
でしかないけどね


信じるのもあなた
信じないのもあなた


でも、全てあなたの気持ち次第で
如何様にもなるのではないか?と思う私


少し楽になると、人は苦しみを忘れる
少し楽しくなると、人はもっともっと楽しく
なりたくなる


そうじゃない
少し楽になったからって、
前の苦しみは忘れちゃいけない
少し楽しくなったからって、
前の辛さは絶対に忘れちゃいけない


今あることは、全て当たり前ではないんだ


失ってから気付いても、取り戻す方が大変だ
失う前に気付ければ、取り戻す力を使わずに
済む


母がどうなっていくのか


私1人では、どうこう出来ない


母の体は母に委ねられている


私の期待(どーせ変わらないという気持ち)
を裏切ってくれる日が来るのだろうか?


昨日の帰りのタクシーの風景を覚えてるだけ
では意味がない


引き出しからその時の思いを取り出し、
ギュッと抱きしめてほしい
大切に包み込んであげてほしい


たまにじゃなくて、常に…
事あるごとに…


その風景が、母の命を支える気がする