真実のどこかに突き刺さればくらいの軽い気持ちで書いています。
あなたがここで感じることができたものがあれば、それこそが真実です。
今回は「あて」を取り上げます。
※ヲシテ - Wikipedia をご参照ください。
「あて」(貴)は、古語辞典では、「身分が高い。上品」の意味になります。
「なにものかを生きるあなたは、定めなくこの世界の数多から集める処のものに生きている」
または、
「なにものかを生きる天は、定めなくあなたをこの世界の数多から集める処のものに生きている」
となります。
この世界の数多から定めなく集める処のものに生きていることが、上品さの本質であるということ。
きらびやかなものには、この世界の数多のものが押し寄せて来ているのを感じるのは、そういうことなのかもしれません。
また、きらびやかなものに惹かれるのも、この世界の数多のものの一つとして、そこに自分の心が集約されるということなのでしょうか。
「あて」に「はか」(「そこはかとない」の「はか」)が付いた「あてはか」は、古語辞典によると、品の良いさま。一見「あて」であるが、「あて」よりも浅い度合いのものの意味合いで、「あてやか」よりも低い段階の上品さを表す語とあり、言霊的には以下のようになります。
「なにものかを生きるあなたは、定めなくこの世界の数多から集める処のものに、自身を開き、天と繋ぐ処のものに生きている」
または、
「なにものかを生きる天は、定めなくあなたをこの世界の数多から集める処のものに、あなたを開き、地を繋ぐ処のものに生きている」
となります。
これは、あなたが、自身をきらびやかなものに生きようとする心と、または、天なるものが、あなたをきらびやかなものにしようとするものに捉えることができます。
きらびやかさを求めたり、惹かれたりする心は、「あてはか」なのです。
「あて」に「やか」が付いた「あてやか」は、古語辞典によれば、上品な感じ。「あて」そのものではなく、「あて」な感じのあるさまを表す語で、言霊的には以下のようになります。
「なにものかを生きるあなたは、定めなくこの世界の数多から集め、天に応じ答える処のものに、天と繋ぐ処のものを生きている」
または、
「なにものかを生きる天は、あなたを定めなくこの世界の数多から集め、天に応じ答える処のものに、地を天と繋ぐ処のものに生きている」
となります。
自身があてなるもの、きらびやかなものを生きているとき、あなたは、「あてやか(艶やか)」であると言えます。
艶(あで)やかな人には、なにかこの世界のどんなものも及ばない(「定めなくこの世界の数多を集める処のもの」を言い換えると、こういうことです)、この地上を超えたもの(天と繋ぐ処のものを言い換えれば)を感じさせられます。
※言霊は癒やしであり、1語1語声に出してみることでその効力が発揮されます。ぜひ声に出してみてください。
理屈ではなく、あなたは、自分のうちに深い癒やしの力が得られることを感じることでしょう。
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