随分、ご無沙汰しましたが、8か月ぶりに再開します。
この間、新しい表現について真剣に考え、ようやく一つの解答を得られました。
新境地が開けたといった処です。
これから思う存分、この新しい表現をしてやろうと企んでいます(笑い)。
このブログでは、この新境地のバックグランドとなっている思考を毎回短い言葉でつづりたいと思っています。
その思考というのは、自分が仮に名付けた「実践形而上学」であり、さらにその具体的な用例集である「個別形而上学命題集」で既に表しているものです。
これは、アリストテレスが自著「形而上学」の中であげた30の形而上学用語を、私たちの日々の思考に置き換えたものです。
たとえば、用語の第一に語られている「アルケー」は、「始まり」「原理」「始動因」という意味ですが、これを「現されること」という意味に置き換えることで、わたしたちの思考そのものを捉えることができます。
自分が「現されること」とは、わたしたちが逃れることができない切実な課題です。
日々、自分がどのように現わされているか、あなたは気になってならないでしょう。
この「現されること」に基づく思考が、あなたの日々の在り方を決定しています。
ただし、前もって言っておくと、それは、あなたの一部に過ぎません。
あなたは、ほかの思考を持つこともできます。
一つの思考にとらわれる必要はないのです。
「現されること」に基づく思考の第一は、「現されている」のは、「現している」ものがあるから、というものです。
古代ギリシアの自然学者パルメニデスは、「在るものは有り、ないものは無い」という原理を述べました。
在るものは無いというのは矛盾であり、無いものが有るというのもおかしい。
無からなにも生まれない。存在するものは必ず有から生まれる。
存在するものは、それに先立つ存在がなくてはならない。
この存在に先立つものへの思考から科学や宗教が生まれたのです。
次回は、さらに、このアルケー、「現される」ことについて、考えていきたいと思います。




