第3回では、他のものを介さず自分自身と向き合うということを述べました。
他のものを介さない自分とは、他者によって歪められない自分ということです。
しかし、他者によって歪められない自分とはどういうことなのでしょうか。
そもそも他者は自分を歪める存在なのかどうか。
ルターは神と人間との関係で教会の存在意味を問いかけることができました。
教会が、神との真の交わりを妨げている、と。
しかし、この主張もはたしてどうなのか。
じつは、神との真の交わりを妨げているものは、教会ではなく、自分自身の中にある、と考えるべきなのではないか。
このことは、あなたが、自分自身と直に交わるというときにおいても言える。
あなたが、自分自身と直に交わることを妨げているのは、本当は、あなた自身の中にあるのではないか。
それは、直に自分自身と向き合えなくなっている、癖のようなもの。
他者とのかかわりの中で、いつしか身に付けてしまったものです。
他者は、じつは、あなたが自分自身と直に向き合えなくなっていることのきっかけになっているというのに過ぎないのです。
ほんとうは、あなた自身の中にある。あなたの中のものが、あなたが自分自身と直に向き合うことを妨げている。
それを認めたくない、もしくは考えられないために、あなたは、あなたが自分自身と向き合うことが出来なくなっているのを他者のせいにしているのではないか。
一度他者のせいにできたら、もうその考えから離れられなくなってしまう。
他者は、あなたが、自分自身と直に向き合うことを妨げる存在である、と。
そして、あなたが、他者のせいにして、あなた自身と直に向き合うことから逃げていることを指摘してくれるのは、あなたが自分自身と直に向き合うことを妨げているとしている、その他者なのです。
他者は、第三者の視点から、あなたが、あなたの真の自分と直に向き合わないことを感じるのです。
あなたは、他者が、そのように、あなたが自分自身と直に向き合うことから避けていると指摘されるのをとても不本意に捉えることでしょう。
でも、他者からのその感じ方を甘んじて受け取るべきです。
それは、けっして他者に自分を合わせることではありません。
自分自身についての第三者的な目を尊重するということです。
他者の第三者の視点を受け入れ、そこから、真摯に、自分自身と直に向き合ってゆくことです。
他者の、あなたに対する手厳しい指摘を、あなたへの愛だと理解してください。
一方、あなたに合わせるばかりの人というのは、あなたが真にあなた自身と向き合うことを回避させようとしている人たちです。
あなたは、あなたに手厳しく言ってくれる人を大切にすべきです。
あなたに手厳しく言ってくれる他者との交わりを通して、あなたは、真の自分自身と出会うことができるのです。
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引越しを進めるのと同時進行で、新しい職場に慣れるのに必死という状況です。
また、落ち着いてきたら更新したいと思います。
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