第17回 他者の自身に基づくものを生きる姿に学ぶ  | 同胞たる、おっとりとした頬を求めて!

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世界とは、貴方について書かれた書物である。

 第2回では、「自分に基づくものだけが真実である」として、闇雲に言われていることに従わない、ということを述べました。




 しかし、なにが自分に基づくものか、そして、どう自分に基づくものを真実として生きるか、という問題があります。




 そもそも、人と人との間と書いて人間というように、誰もが、つねに他の誰かとかかわり、誰かの言葉に基づいて生きているということが、人間ということなのです。




 自己とは、他者によってもたらされたものなのです。




 しかし、人類は、自分と同じ他者から区別された自分を持つことをいつしか願うなかで、神という他者を見つけ出したのかもしれません。




 神という他者を持つことで、同じ人間どうしのかかわりの中で生きられる以外の自分というものを獲得したのです。




 神という他者は、同じ人間である他者の言葉によらずに生きる術をあなたに授けたのです。




 神との関係において、神以外の他者によらない、自分に基づくものを生きることを知ったのだと言えるでしょう。




 一方、神を持たない人間は、やはり同じ人間である他者に拠らなくてはなりません。




 同じ人間である他者を通して、他者によらぬ自分を持つということです。




 これは、とても難しいことです。




 なにが自分に基づくものであるか。他者に基づいている部分と、自分に基づくものとの間の線引きはどうしたらいいのでしょうか。




 それは、ただ、他者がどう自分に基づくものを生きているか、そこに思いを寄せる以外にはないことでしょう。




 他者がどう自分に基づくものを生きているかをまね、学ぶ(「まねぶ」)ことを通して、なにが自分に基づくことであるかを理解するのです。




 これを読まれているあなたも、これまで生きている間に、たくさん他者を通して、自分であるものに基づくことを学んできたのです。





 これを書いているわたしも多くのことをこれまで他者から学び、これからもさらにたくさんのことを学んでゆくつもりです。





 そこで気をつけないことは、他者の言葉を闇雲に信じず、それがどういうことなのか、十分に噛み砕いて、自分の言葉に置換えてみることです。





 他者の言っていることが、あなたの自分に基づくもの、あなたの自己の核心を突くものなら、それは、あなたが信じていいものです。





 ただ、そうはいっても、なにがあなたの自分に基づくもの、あなたの自己の核心を突くものかを感じ取るのも、やはり人とかかわり、学ぶ(まねぶ)ことを通して、培ってゆくものと言えるでしょう。





 その目安は、感動です。




 

 感動は、それが、あなたの自己の核心に繋がることを知らせてくれます。





 ソチ・オリンピックが終りました。





 今日、あなたは、なにに感動したことでしょう。









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