思うように生きようとしても、なかなか自分の思うように生きられないのが、人生です。
まっすぐには物事は進んでゆかない。
しかし、ゆっくりではあるが、確実にあなたは、以前のあなたよりも進んでいるのです。
思うようにならぬこと、それはあなたがよりよく生きる上で必要なことであったのです。
つまり、あなたがよりよく生きるための試練。
あなたは、よりよくあなたが生きるために、なお紆余曲折を続けなくてはならないでしょう。
反対はじつは反対の反対。すべては一つのことに繋がっているのです。
それを例えるなら、どこか上の方に繋がっている螺旋階段。
あなたは上っているつもりが、いつのまにか下っていたり、また下っているつもりが、じつは上っている。
しかし、その階段を歩むかぎり、あなたは確実に上っているのです。
この階段は、神にいたる道です。
中世末期のニコラス・クザーヌスはこのことを述べて、それは「反対の一致」説と呼ばれています。
人生後退してばかりいることはない。必ず前進につながっていると信じよう。
そのことを信じられたとき、あなたは、永遠の命と繋がっているのです。
このことを身体の神秘の調べ(ムジカ・フマーナ)に合わせて述べてみましょう。
あなたは、前進ばかりではなく、後退によっても、また、よりあなたであるものに息づかせられます。
それは、一見あなたの血であるものに反するものもまた、あなたのからだであるものを、よりあなたであるものに導き、育む、あなたの血であるものだからです。
あなたは、前進ばかりではなく、後退によっても、また、よりあなたであるものに導かれ、育まれます。
それは、一見あなたの胸であるものに反するものもまた、あなたの耳であるものを、よりあなたであるものに導き、育む、あなたの胸であるものだからです。
あなたは、前進ばかりではなく、後退によっても、また、よりあなたであるものに在らされ、創造させられます。
それは、一見あなたの腕(手、創造主)であるものに反するものもまた、あなたの脚(足、被造物)であるものを、よりあなたであるものに在らせ、創造する、あなたの腕(手、創造主)であるものだからです。
あなたは、前進ばかりではなく、後退によっても、また、よりあなたであるものに満ち足らされます。
それは、一見あなたの内腑(中身)であるものに反するものもまた、あなたの肩(器)であるものを、よりあなたであるものに満ち足らせる、あなたの内腑(中身)であるものだからです。
あなたは、前進ばかりではなく、後退によっても、また、よりあなたであるものに守られます。
それは、一見あなたの皮膚(防具)であるものに反するものもまた、あなたの背(無防備な自分)であるものを、よりあなたであるものにかばう、あなたの皮膚であるものだからです。
あなたは、前進ばかりではなく、後退によっても、また、よりあなたであるものに支え持たれます。
それは、一見あなたの骨(依拠するもの)であるものに反するものもまた、あなたの肉身であるものを、よりあなたであるものに支え持つ、あなたの骨であるものだからです。
あなたは、前進ばかりではなく、後退によっても、また、よりあなたであるものに味わわれます。
それは、一見あなたの舌(あなたを評価する存在)であるものに反するものもまた、あなたの目(知と所有)であるものを、よりあなたであるものに味わう、あなたの舌であるものだからです。
このように考えてみると、逆境などといった不幸な状態というものはじつは不幸なことではなく、また、あなたの敵は、あなたの大切な存在だということが分かるでしょう。
そうなのです。だからイエスは、悲しんでいるものは幸いであると言い、また、汝の敵を愛せよとも言ったのです。
今、あなたに反する存在は、じつは、あなたを一番に肯定している存在なのです。
ただ、なにかがあなたとあなたに反する存在との間を隔ててしまっているだけなのです。
あなたとあなたに反するものどうしも、好ましい状況と不幸な状況も、すべては、同じ一つのことに繋がっているのです。
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