第7回 共有できるものを通して、互いに生き合う | 同胞たる、おっとりとした頬を求めて!

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世界とは、貴方について書かれた書物である。

 第7回目は、「共有できるものを通して、互いに生き合う」です。



 あなたは、初めからすべての人とよりよく生き合われるわけではない。



 そこには、努力が必要です。



 どうしたら、あなたは、他者と理解し合えるでしょうか。




 中世キリスト教界において、異端者を改宗させることができるであろう。また、異端者(ことにイスラム教徒)とどう分かり合えるであろう、ということがとても大きな問題でした。



 力づくで行われたのが、いまわしい異端審問です。



 そこでは、じつに多くの人たちがただ異端の疑いをかけられたというだけで、命を落としました。もう一つ悪名高い魔女狩りは、その余波と言えるものです。



 また、アルビ派といわれたりした、カタリ派は南フランスの地に巨大な勢力を誇っていましたが、カトリックの大軍勢の前に滅び去りました。



 その先頭にドミニコ会がありました。ドミニコ会は、異端者の改宗に全力を捧げた托鉢修道士の集まりです。



 そのドミニコ会にあって、従来のキリスト教ではない、古代ギリシアの哲学によってキリスト教を語ったのが、トマス・アクィナスです。



 古代ギリシアの哲学は、イスラム教徒がもともと保存していたものであり、その意味で、アクィナスはキリスト教とイスラム教の共通の基盤の元に、「普遍的なキリスト教」を展開したと言えるのです。




 それは、キリスト教とイスラム教とが相互理解を深める可能性を広げたという点で、とても意義深いものがあります。




 異なる考え方を持っている人に、ただ頑迷に自分の考えを押し付けるのでは、到底わかりあうことは不可能です。




 そこに共通のもの、共通の言語を用いることで、それまで互いが遠い距離であったものが、近くなることができるのです。




 ここでは、この共通の言語たる古代ギリシアの哲学を用いたアクィナスの努力を、理解しあう前の人間どうしに振り当ててみたいと思います。





 それは、まだ互いに理解しあわないものどうしが、互いに共通のものを持つことを通して、よりよく生き合われるようになるということです。




 すなわち、互いに共通のものを持ったあなたと他者とは、互いをより強くあるものに息づかせることができます。



 あなたと他者のからだであるものは、互いに共通の血であるものを持つことによって、互いをより強くあるものに力づけ合うのです。






 また、互いに共通のものを持ったあなたと他者とは、互いをより高くあるものに導き、育むことができます。





 あなたと他者の耳(よりよくあろうとする意思)であるものは、互いに共通の胸(メッセージ)であるものを持つことによって、互いをより高くあるものに導き、育み合うのです。







 また、互いに共通のものを持ったあなたと他者とは、互いをより限りなくあるものに在らせ、創造することができます。





 あなたと他者の脚(足)であるものは、互いに共通の腕(手、創意工夫)であるものを持つことによって、互いをより限りなくあるものに在らせ、創造し合うのです。







 また、互いに共通のものを持ったあなたと他者とは、互いをより豊かくあるものに満たせることができます。





 あなたと他者の肩(器)であるものは、互いに共通の内腑(果実)であるものを持つことによって、互いをより豊かくあるものに満ち足らせ合うのです。








 また、互いに共通のものを持ったあなたと他者とは、互いをより堅くあるものに守ることができます。





 あなたと他者の(無防備な)背であるものは、互いに共通の皮膚(鎧)であるものを持つことによって、互いをより堅固に守り合うのです。







 また、互いに共通のものを持ったあなたと他者とは、互いをより一に支え持つことができます。





 あなたと他者の肉身であるものは、互いに共通の骨であるものを持つことによって、互いをより一に支え合うのです。








 また、互いに共通のものを持ったあなたと他者とは、互いをよりあまねく味わうことができます。





 あなたと他者の目(知識、教養、知恵)であるものは、互いに共通の舌(理解力)であるものを持つことによって、互いをよりあまねく味わい合うのです。








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