普通ではない人間についての哲学 | 同胞たる、おっとりとした頬を求めて!

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 本日、三度目の更新です。



 前々回は普通であることについて述べたので、今回は普通ではない人たちのことを述べたいと思います。



 普通ではない人たちとは、残念ながら民俗学の「常民」の範疇から零れ落ちた人たちです。



 彼らは、「反社会的人間」と言われ、その中でも、今回は、反社会的人間の典型である、ヤクザというものについて考えたいと思います。



 ここで、少し自分のことを言うと、これまでヤクザというものを怖いとか思ったことは一度もありません。



 一度、黒ずくめの人たち、五六人くらいに取り囲まれ、吠え立てられたことがありますが、不思議に怖いと感じませんでした。



 そのとき感じたことは、彼らもまた一人の普通の人間なのだということでした。



 ただ、なんらかの事情があって、今のようなことをしているのです。



 むしろ、わたしは、彼らに親しみを抱いたくらいだったのです。



 ただ、彼らは、ややこしいのです。



 そういう意味では、あなたは、下手に関わらないほうがいい人たちだとも言えます。



 彼らを例えるなら、番犬のような人たちだと言ったらいいのではないでしょうか。



 番犬は、ものすごい剣幕で吠え立てるけれども、そのじつはとても怖がりなのです。



 ちょっとした物音にもひどくおびえて、つい大きな声で吠え立て、追い出そうとします。



 番犬の本質は、小心ものが、大きな声で出すことで、自分の小心さを隠そうとすることです。



 小心だからこそ、大きな声を出して吠え立てるのです。「自分に近づかないでほしい」という願いなのです。



 その心の中の叫びを聞き取るとき、わたしは、彼らに近づかないであげたほうがいいと判断します。



 あなたも、彼らにやさしくしてあげてください。



 難しいかもしれないけど(笑)。



 熊が人を襲うのは、自己防衛のためだと言います。



 好きで人を襲うわけではない。



 できれば人と近づきたくない。でも会ったら、人からどんな危害を加えられるか分からないから、まずは相手にダメージを与えて、人が自分に危害を加えないようにしてから逃げようとするのです。



 ヤクザも熊と同じです。



 できれば、普通の人たちと関わりたくない。



 関わると、自分の卑小さを思い知らされることになる。



 でももし関わることになったら、吠え立てて相手を萎縮させ、その隙にその場を立ち去ることにするのです。



 ヤクザは小心者が虚勢を張り上げている姿だと理解してください。



 だから、とても格好悪い。その自分の格好悪さを悪ぶることで隠そうとするのです。



 よって、下手にかかわると、やはり怪我をすることになるので、なるだけ関わらないようにすることです。



 ただ、いつか普通の人たちの仲間入りをしたがっているのだと、わたしは勝手に考えています。



 互いに対等なものどうしの絆の中に入ってゆけないで、狭いヤクザの繋がりの中で、自分を超えて自分を生きようとあがいているのだと思っています。