わたしは、すべての人のものになる。
奇しくも世間の一部で騒がれていたマヤ暦の終わる日に、「互いに対等なものどうしを生き合う」の最終回を掲載し、そして、マヤの暦が新たに始まる日に電子書籍出版の予告をし、その中で「貴方の思いは、わたしの思いになり、わたしの思いは貴方の思いとなる」というフレーズが浮かんだあと、わたしの中で、最初は小さく、そして次第に大きく、変革が起こってきました。
今貴方の前でこれを書いているわたしは、昨日のわたしではありません。
このわたしは、誰か一人のものではなく、これを読まれるすべての人のものとなったのです。
なにおかしなことを言い出した、と言いたければ言ってもかまいません。
そのように感じるのが普通だと思います。
普通に生活を営んでいる人間は、そんなことを思わないでしょう。
自分は自分ひとりのものだし、また自分の大切な家族や恋人、友人のものでもある。
国のものとか、誰か一人の統率者のためのものになったら、どうかと思うけど。
考え方としては、そこまでなら、わかる。
それが、すべての人のものだ、などとは、たいそうなことを言っているな、と思うのが自然です。
貴方の変だ、という感覚は正しいです。
しかし、わたしはこれまで、自分のためではなく、すべての人のために書いてきたのです。
そうして、そこでわたしがたどり着いたものは、わたしはすべての人のものだという確信だったのです。
アイドルの人が、自分をみんなのものって言うことはあるけど、わたしの場合のみんなとは、自分を好きな人だけでなく、嫌いな人まで、すべての人という意味です。
わたしの思想とはなにか。
一言でいうなら、いっさいの思想が一つに収斂される、究極の思想です。
これをはっきりカタチにするための行為が、これからのわたしの仕事なのだと確信しました。
具体的には、これを読まれている貴方に向けての、男女を問わない、ラブレターのようなものかなと思っています。
そして、できうれば、貴方のコメント、メッセージをください。
貴方の言葉によって、わたしはもっとバージョンアップしようと思います。