互いに対等なものどうしを生き合う 第84回 サン・ヴィクトール学派その五 宇宙の思考 | 同胞たる、おっとりとした頬を求めて!

同胞たる、おっとりとした頬を求めて!

世界とは、貴方について書かれた書物である。

 今回は、サン・ヴィクトール学派で学ばれていた自由7学科の一つ、天文学からインスパイアされたことを述べたいと思います。



 わたしたちが普段触れている世界の外に、わたしたちが触れることができない世界があって、その世界から、わたしたちの世界は大きく影響を受けている。



 このことを学ぶのが天文学という学問なのだと思います。



 そこで得ることの一つは、わたしたちが生きている世界は限りがあるということです。



 そして、わたしたちが、わたしたちの生きている世界を超えて生きる知恵が天文学という学問を成立させたと考えることができます。



 つまり、身の回りの世界に対する見方である世界観を超えて、わたしたちの身の回りを超えた視野としての宇宙観を持つということなのです。



 普段、わたしたちは、自分の身近な事柄にしか興味を抱きません。



 わたしたちが触れている世界がすべてだと思い込んでいます。



 しかし、わたしたちが生きている世界は、じつは限られた場所であって、わたしたちはもっと大きなものから生きられているのです。



 そのとき、貴方という存在は、あまりにも小さな存在です。


同胞たる、おっとりとした頬を求めて!



 それにもかかわらず、貴方は、宇宙の、世界の片隅に生きていることの不思議。



 それは、貴方という存在が、貴方だけではないものから守られているからだ、と貴方は思います。



 中世の神学者たちなら口を揃えて、貴方は、神から守られていると説くことでしょう。



 神学的において、宇宙について考えることは、いかに神から守られているかを考えることに繋がっているのです。



 それは、神学を離れて、現代に生きるわたしたちの心にも響いているものではないかと思います。



 神を信じる信じないを問わず、わたしたちは、なにか大きなものに包まれているという感覚を否定することはできません。



 占いをはじめ、なにか精神的なものを信じるというのも、この大きなものから包まれているという感覚を誰もが共有しているからなのです。



 自分の触れることの出来る世界ではない、もっと大きなものを理解しようとする、人類の願望を、天文学は古代から現代に至るまでずっと担ってきたのです。



 それは、たとえば経済のことなど、大きなものを理解しようとする、その他さまざまな学問の基礎になっていると、考えることができるのではないかと思っています。




 今朝の月の画像をどうぞ。


同胞たる、おっとりとした頬を求めて!

まだ明け切らぬ朝の雲間から一瞬覗いた月の姿を撮りました。